日本テレビ系列『THE突破ファイル』では「つっぱり棒を初めて世に送り出した会社の突破劇」と題して、突っ張り棒を年間300万本売り上げている大阪府大阪市西区江戸堀にある平安伸銅工業株式会社の三代目代表取締役の竹内香予子さんの突破劇が特集されます。

 

付き合っていた建築事務所出身の一紘さんと結婚し、常務取締役として竹内香予子さんを支え、DIY向けの金具シリーズ「LABLICO(ラブリコ)」やおしゃれな突っ張り棒「DRAW A LINE」と片付けに関する「cataso(カタソ)」の運営など当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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オワコン化しかけた「突っ張り棒」を再定義した平安伸銅工業三代目代表取締役の竹内香予子の実績

平安伸銅工業株式会社には竹内香予子さんの祖父が、渡米した時にシャワーカーテンを吊り下げる道具として使われていたテンションポールを持ち帰って研究と改良を重ねて「突っ張り棒」日本で最初に発案。

創業者の笹井達二さんがアルミサッシ量産に成功するも石油危機で撤退し、突っ張り棒に活路を見いだすも2代目・笹井康雄さんの時には「突っ張り棒」は日本で独自に進化した商品で耐荷重80kgで洋服も吊るせると1995年(最盛期)で50億円もの売り上げがあったのですが、類似品や100円ショップにも並ぶようになり2010年には売り上げは14億まで縮小していました。

会社の行く末を心配していた従業員は、新たな後継者に歓迎ムードだったそうですが、突っ張り棒を発明したリーディングカンパニーとして社内には過去の成功体験にこだわる価値観が定着し、業績回復のために社風改革を試みることに。

  • 何を有効活用すれば他社の突っ張り棒と差別化できるか
  • どの市場に出ていけば価格競争に陥らないで済むか

と、今一度原点に立ち返り、2014年に整理収納アドバイザーの資格取得や有資格者のコミュニティに参加して価格競争のない新しいマーケット探しに奮闘しました。

社内体制も・・・

  • 入社当時は女性スタッフが竹内香予子さん含めて4人から4倍以上に増員
  • 整理収納アドバイザー取得で出会ったお片付けのプロと一緒にお片付け情報に特化したウェブメディア「cataso(カタソ)」を立ち上げ
  • 新しいことに挑戦するのかと不満を持つ方が辞めるなどして7年間で社員の3分の2が入れ替え(入れ替わった)

 

WIKIPEDIAより詳しい?竹内香予子のプロフィールと経歴・学歴

 

出典:

名前
(読み方)
 竹内 香予子
(たけうち かよこ)
生年月日  1982年7月
出身地  兵庫県宝塚市
血液型  
身長  
体重  
出身高校  
出身大学  同志社大学 文学部社会学科
新聞学専攻
職業  
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中学・高校時代は自由な校風の学校生活だった3姉妹の末っ子の竹内香予子さんは、高校3年生の時に現代文の授業で自由なテーマで作品を仕上げて文集にする課題がありました。

竹内香予子さんは、祖母の学生時代の被爆体験をテーマにしたのですが祖母にインタビューをすると思い出したくないような辛い体験まで踏み込むことができず、自分の無力さを痛感する反面、伝えること・報道の仕事に興味を持つきっかけになったそうです。

同志社大学では新聞学を専攻した竹内香予子さんは、大学4年生の時に1年間中国・北京に留学。

当時、反日感情が高まっていた時期だったこともあり、北京でも大規模なデモと暴徒化した学生らの様子を目の当たりして、仲の良かった中国人の友人から「あなたのことは好きだけど、日本は嫌いで信じられない」と言われたそうです。

竹内香予子さんは、中国での経験を通じてさらに社会で起きているリアルな出来事を世の中に伝えていきたいと強く思い、2006年秋に産経新聞に入社して大津支局に赴任し県警(事件・事故)や県庁(行政)などを担当。

入社して2007年5月5日に大阪万博記念公園に隣接する遊園地で立ち乗りジェットコースター風神雷神IIが走行中に左側車輪ブロックが突然脱落で19歳の滋賀県の女性が亡くなり、被害者の友人の取材を任されました。

しかし、高校生の時の悔しい体験を克服できない竹内香予子さんは、取材に応じられても深く掘り下げて聞くことができず、リアリティーを伝えたい事ができないことから疲弊する自分を交際相手の彼氏と彼氏の母親が支えてくれました。

挫折してしまった竹内香予子さんは、次の仕事を探そうと母親に伝えた1週間後に彼氏を交えて両親と4人で食事をした場で2代目社長として平安伸銅工業を率いていた父親の体力が病気で弱っている事を聞かされました。

話を聞かされた竹内香予子さんは、挫折したタイミングであえて楽な道を与えようとしているように感じて即座に断りましたが、数ヶ月間考え、彼氏とも話をした結果「父親をサポートする仕事は私にしかできないことなんじゃないか」と思えるようになり、2010年1月に産経新聞を退職。

両親の「好きなことをやりなさい」という教育方針で、姉2人は医師と歯科医として活躍していた中で父親が体調を崩した事と自身の新聞記者として役割を見失いかけていた中で「新聞社には毎年たくさん人材がいるが今、会社を継げるのは私しかいない」と、どうせやるなら自分で責任を持つ仕事をしたいと平安伸銅工業株式会社に入社。