質問9.どんな性格の子供でしたか?

なるみ・岡村の過ぎるTVビートたけしq9

その答えは、落ち着きがない子、親が40いくつの時の子供だったから異常に可愛がられた。

伝説のギャグ「コマネチ」の原点(小話)

母親が40過ぎてからの子供だったこともあり、どこに行くにもおんぶされていたそうです。そのせいなのか、コマネチのポーズをした時、股の部分におんぶの紐が食い込んでいたので完全にがに股になってしまい、この出来事がなければコマネチは生まれていなかったかもしれないと話していました。

 

強烈な環境で生まれ育って・・・(小話)

足立区のビートたけしさんが住んでいた近所の母親は、みんなヨイトマケだったから、それが普通だと思ってた。母親は平日の昼はヨイトマケで、夜はおもちゃ屋の輸出用の造花作って、土日は西新井大師に草団子を握りに行って、働きづめだった。

美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」の歌詞を聞いて、可哀想な歌詞だったから、自分は可哀想な子なんだと思った。エンジニアという歌詞を聴いて自分のことか?と思ってしまったそうです。

ビートたけしさんが子供の当時は、タクシーも来ないし、降りるときも目的地の場所よりも前で降りてくれと言われた。おでん屋さんや紙芝居も来なかったんだよと明かしていました。

ヨイトマケとは、地固めのため、大勢で重い槌(つち)を滑車で上げおろしすること。それをする人の事で、多くは女性で、稼ぎの少ない夫を持った妻や、夫に先立たれた妻が家族を養うための仕事でもあったことから、ヨイトマケ=働く女性という意味合いで使われることも多かったそうですね。

 

ビートたけしさんは母に隠れて大好きな野球を(小話)

小学校の時から野球がやりたかったが、母親が大学行って機械関係の進んで欲しかったために塾ばっかり行かされた。どうにか生活は出来ていた。グローブは持つことが出来なかったので新聞紙で作って銀杏の木の下に穴を掘って埋めて隠していたそうです。

英語の塾に行ってくると言っては、隠していたグローブで野球をして、塾から帰ったと母親に言うと、急に英語で話してきて「え?」と言ってしまい、行ってないことがバレてしまったと明かしていました。

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芸人になるまでのきっかけは?(小話)

高校卒業後、明治大学工学部機械工学科に入学するが、学生運動も盛んだったり、500円で映画が3本立てでも映画の組み合わせもがめちゃくちゃだった。大学にはすぐに行かなくなり、新宿界隈で当ての無い日々を送り、バイトを転々としていたそうです。

浅草フランス座でアルバイトしている時に深見千三郎さん(ビートたけしさんの師匠)のコントを観てて、この人上手いなと思ったそうです。エレベータボーイのバイトをしていたのでいろんな芸人さんをみてきたそうです。その中に萩本欽一さんがいて「師匠はいる?」と聞かれて、そこで初めてあの人は師匠なんだと知ったそうです。

 

 

爆笑!ビートきよしの彼女が・・・(小話)

深見千三郎さんの弟子の中に、既にビートきよしさんがいたそうです。ビートたけしさん曰く、偉そうに浅草フランス座にいつも入ってきていたようです。彼女を連れてくる時もあったらしく、その彼女は元自衛隊特殊部隊の所属してたのでガッチリした体型と明かしていました。実は彼女と言ってもニューハーフだったようです。

ビートきよしさんは、その彼女に車(カマロ)を買ってもらったことがあったそうです。ビートきよしさんと仲良くなって一緒に呑んでたら、ビートきよしさんに新しい彼女ができていた。それを知った元自衛隊の彼女が怒って殴り込んできたらしく、ドスのきいた声で追いかけられ浅草中を逃げ回ったそうです。

ハイヒールを履いているのに、自衛隊の特殊部隊だったのでかなり速かったそうで、浅草フランス座に逃げ込んでシャッターを下ろして自分たちの楽屋(4階)に隠れたが、屋上からロープで入ってきてガラスを蹴破られ、土下座して謝るが、ハイヒールを履いたまま頭をなぜか自分も踏んづけられたようです。 ビートきよしは、金のためなら女もだますひどい奴だよ、とビートたけしさんが明かしていました。

 

 

ビートたけしさんが「芸人」になる事を決意した日(小話)

浅草フランス座の近くに松竹演芸場があり、フリーパスを持っていたので観に行ったそうです。そこで、当時の売れっ子芸人であるWけんじの芸人を見ても面白いとは思えず、舞台を終えたWけんじがベンツに乗って帰って行った。

それを見て、「へぇー。あれでベンツに乗れるんだ」って変に感心して、だったら、やってみようかなと、そこで初めて漫才をやろうと思ったそうです。大学中退して、もともと芸人に興味がなかったビートたけしさんの今があるのは意外にもシンプルな理由から始まっていたようです。

 

 

これぞビートたけしさんの母!爆笑エピソード(小話)

芸人をやろうと決心をした頃、母親には、自分が家に帰っていなかったのでアメリカに留学していると嘘をついていたそうです。しかし、浅草フランス座で目撃した、松竹演芸場で目撃したと母親の耳に入っていたらしいのですが、母親はうちの子はそんな場所にいませんと言っていたが、売れ出したらうちの子だと認めていたようです。

鬼怒川温泉に言っていたときの話で部屋から電話したらいいのに母親がフロントでわざわざ電話を借りて 「たけしか?あのツービートのたけしか?お母さんだよ。わかるか?元気か?」 と大声で話しているから、フロントの人もビートたけしさんのお母さんに反応したものだから、また母親が 「どうして、たけしの母親とわかったの?」と判明した途端に待遇が良くなったと喜んだそうです。

ビートたけしさんの遺伝子は母親譲りなのかもしれないですね。 他にも、待遇や良くなるからツービートのプロマイドをわざと落として 「うちの息子の写真が落ちてませんか」という事もするそうです。

 

 

浅草「捕鯨船」若手芸人はタダ!(小話)

テンダラーの浜本さんが、浅草花月の出番の時に捕鯨船に寄った事があり今も行かれるのか質問すると、ビートたけしさんは今でも行くことがあるそうです。前は芸人さんと分かるとお金をとらなかったとビートたけしさんが言うと、浜本さんが捕鯨船の大将に 「おめぇ、テンダラーじゃねぁか!おめぇおもしれぇなぁ!」 と言ってもらたそうですが、きっちりお金を支払って帰ったそうです。

すると、ビートたけしさんが、大将は「たけちゃんからもらっとくからいいよ」と言って、後でビートたけし払いに行ってるそうです。あくまでも若手で売れていない芸人のようです。 そうすると気分を良くしたテンダラーの浜本さんに対して岡村さんが焼鳥 Dining ハマーも見習って、若手芸人にそうせなあかんな」 と突っ込むとテンダラーの浜本さんはこの部分は絶対にオンエアーせんといて下さい」 と本音で返していました(笑)。

 

 

さて、最後の質問は? 続きは次のページへ