質問7.「ひょうきん族」の頃と今のテレビの違いは?

なるみ・岡村の過ぎるTVビートたけしq7

その答えは、番組の予算だよと即答でした。

スポンサーの関係とかテレビ離れをしているので、あの頃はテレビが全盛期でインターネットの普及もしていない。見るものは「ドリフターズ」「ひょうきん族」というように固定されていた。(家に)帰って見ようという考え方、方法しかなかった(ビデオも普及していなかった)。

だから当時は、スポンサーの数も多かったから予算も凄くて、普通のセットでも何千万もかけて一瞬で壊すことも容易にできたから自ずとコントの質も違っていた。また、今と違って、やりたいこと、馬鹿なこともやらせてもらえていた。

今のテレビ局全体の予算の無いせいで、やりたいことがやれる状態ではない。今までのテレビよりも面白いと思って企画を持って行っても実現できない状態にあるのでちょっと可哀想に思う、と話していました。

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 昔は予算があって好きなことが出来た!(小話)

当時、沖縄で米兵、海軍を使ってミサイルを本当に使った事もあるようで、ビートたけしさんも今考えるとバラエティで凄いことしてたんだよと話していました。同じ事を今すれば国を挙げての問題になること間違いないでしょうね。

他にも、ハブとマングースの戦いを頭にビニール袋をかぶって、戦うフィールドの真ん中に顔だけ出して戦う姿を間近に見る事をしたり、クリアな筒の中に顔だけ出してワニ等が迫ってくるシリーズもあったようです。

 

「ウルトラクイズ」はスケールが大き過ぎる!(小話)

【画像】

熱海の防波堤みたいなところに行って、日本最大のクレーンを2台と観光バスを吊って、○×クイズで間違った方を沈めて、持ち上げるとバスの中の人数が足りなかったこともあったと明かしていました。ダイバー、医者もスタンバイして万が一がないように体制は組まれていたようです。その時にビートたけしは高熱に冒されたそうです。

どんな番組だったかというと参考にどうぞ。

 

岡村さん「ウルトラクイズ」で一躍全国区に!(小話)

出川哲朗さんが先輩ぶった途端に岡村さんが壁を殴りムチで叩き合うという逆ドッキリで出川哲朗さんが引っかかるという企画で、放送が終わった翌日、大阪のミナミ、アメ村を歩いたらウルトラクイズの人!!と周りから言われてついて回られたそうです。

その動画が見たい方の為に用意しました(笑)

 

漫才ブームでスベッた次の日は・・・(小話)

ビートたけしさんは、漫才ブームの時にウケない時もあり、それがテレビに流れた翌日は街を歩くことが怖かった。街をあるくと周りから面白くない、つまらないと散々言われてしまった経験があったと明かしていました。

テレビの影響力をどれだけ持っていたのかが分かるエピソードですね。

 

「ひょうきん族」時代のモテ伝説!

岡村さんが

ディスコでたけしさんが2回ぐらい腕を振れば女の子4~5人が目の前にあれ?ってなってた

というトークから話が始まり、ビートたけしさんが、漫才ブームの時に六本木で島田洋七さんと一緒にいた時に、あれだけ女性と一夜を共にしたのに、まだこんなにも女性がいると言ってきたのでバカヤロ!とツッコんだそうです。

この内容だけでも、どれだけモテていたのかはわかりますね。

ひょうきん族のメンバーで一番モテていたのは、さんまちゃん・・・・・まぁ俺もモテたほうかなぁと、ビートたけしさんが言ったすぐに、なるみさんがお互いが同じこと言ってそうとツッコんでいました(笑)。同感ですね。

 

たけしさんとさんまさん 夜の街で遭遇したら・・・(小話)

さんまさんが、たまたま行ったカラオケにビートたけしさんとたけしさんの彼女と鉢合わせしたことがあったようで、結構恥ずかしかったそうです。仕事とプライベートはやはり違うようで、どうもと会釈するぐらいしかできず、他人行儀になってしまったと明かしていました。一緒に飲もうともならなかったようです。

 

BIG3が食事に行ったら誰が払う!?(小話)

あいつ(タモリさん)はケチだよと一言。さんまちゃんだと年齢的に俺たちの方が上だから出しにくいんじゃないかと思う。払うのはビートたけしさんになってしまうようです。BIG3と言われるようになったのは30代のバリバリ仕事にプライベートも盛んな時には芸能界の頂点にいたんですね・・・。

 

伝説の番組「ひょうきん族」の裏側(小話)

最初にブラックでビルの演者は高田純次さんだったが、明石家さんまさんが現れた時にこの子は面白い、この子を使えばいい、メインだと思ったそうです。そしてすぐにブラックでビルは明石家さんまさんに変わりました。

裏番組ではドリフターズ、萩本欽一さん(コント55)がやっていた。失礼な言い方になるが、ビートたけしさんの考えではドリフターズと萩本欽一さんを引きづり下ろそうと思ったそうです。

コント55は面白いが、途中から萩本欽一さんはいい人になっていた。それがイラついて板からだそうです。その当時のビートたけしさんは、かなりギラギラしていたようです。

さて、次の質問は何でしょうか。続きは次のページへ