中村獅童 (2代目)A-Studioが足立沙織を極秘取材!獅童がかわいい新妻への想いを語る?

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2015年10月23日TBS系列『A-Studio』に2015年1月31日に再婚した中村獅童 (2代目)と新妻・足立沙織さんが出演され、愛する妻への想いを語られました。

 中村獅童 (2代目)

まだ、新婚旅行に行けていない中村獅童 (2代目)と新妻・足立沙織さんですが、実は新妻・足立沙織さんは元読者モデルでかわいいと噂されています。それでは当たり障りなく紹介してみたいと思います。

Wikiより詳しい?中村獅童 (2代目)のプロフィール

 中村獅童 (2代目)1

出典:中村獅童 公式Webサイト

本名:小川 幹弘(おがわ みきひろ)
生年月日:1972年9月14日生まれ
出身地:東京都出身。
学歴:日本大学藝術学部演劇学科中退
血液型:O型
身長: 177cm
体重:63kg
足のサイズ: 26.5cm
父:初代中村獅童
母:小川陽子
妻:小川沙織
襲名歴:1. 二代目中村獅童
屋号:萬屋
事務所:中村獅童事務所

歌舞伎の名門・小川家(旧播磨屋、現・萬屋)に生まれ、父は元歌舞伎役者の初代中村獅童(本名・小川三喜雄)です。結婚10年目で待望の長男誕生したのが中村獅童 (2代目)です。

母・陽子は幼い獅童に北海道の雄大な景色を見せたり、アングラやストリップなどの多種多様な舞台を鑑賞させ、おおらかにスケール大きく育つよう心がけていたそうです。

6歳の6月より日本舞踊を始め、中村獅童 (2代目)自ら舞台に出たいと祖母に直訴しましたが、1981年(8歳)、歌舞伎座にて初舞台を踏み、当初から二代目中村獅童を名乗っていました。

父・三喜雄さんは、中村獅童 (2代目)が幼い頃に歌舞伎役者を廃業しており、中村獅童 (2代目)は師匠不在の中でのスタートし、付き人もおらず、楽屋の支度は全て母が付き添って行っいました。

1983年10月、『春日局』竹千代にて松竹社長賞を受賞しています。

中学時代よりロックに傾倒しバンド活動を始め、明星学園高等学校(第59回生)卒業後、歌舞伎役者が開店休業状態のまま、日本大学藝術学部演劇学科に入学し、アマチュアバンドを結成していました。

19歳で歌舞伎の道を目指す事を再び決心しますが、後ろ盾がないために役がつかず、最後列の一番端に並んでいるだけの役を演じる下積み生活を送りました。その後、日本大学を中退。

1995年3月、大女優・団礼子さんを母親に持ち、恵まれた芸術環境に育った団優太さんとボーカルユニット「UNIT33」としてCDを発表。

1996年『狐狸狐狸ばなし』おそめ役で歌舞伎座賞を、翌年には「歌舞伎の見方」解説にて国立劇場特別賞を受賞。

2002年7月に劇場公開された映画『ピンポン』で準主役の「ドラゴン」の役を射止め、日本アカデミー賞、ゴールデン・アロー賞(映画新人賞)、ブルーリボン賞、日本映画批評家大賞、毎日映画コンクールの各新人賞5冠を受賞。

歌舞伎においても、2003年に『義経千本桜』『毛抜』にて初の主演を務めました。

2005年5月10日、オフィシャルサイトで『いま、会いにゆきます』で共演した竹内結子さんと結婚を前提にした交際をしていたことを発表し、同年6月に結婚。同年6月、京都南座にて『船弁慶』の弁慶役を務め、この公演で、初めて一人部屋の楽屋を使うことが許されたそうです。

2005年11月に第1子(長男)が誕生。2008年3月7日、竹内結子さんとの離婚。

2015年1月31日、一般女性と再婚。5月28日、東京都内のホテルで披露宴を行い、沙織夫人を報道陣に紹介しています。

中村獅童 (2代目)3

出典:https://contents.oricon.co.jp/

(2015年5月時点)

中村獅童(2代目)と足立沙織の出会いは?披露宴に出席した市川海老蔵の感想は?続きは次へ

Wikiより詳しい足立沙織のプロフィール

足立沙織

出典:https://buzz-press.com/

旧姓:足立沙織(あだち さおり)
生年月日:1984年1月4日
血液型:A型
身長:155㎝
出身:岐阜県
最終学歴:早稲田大学卒
事務所:クロムハーツトウキョウ

高校生時代にバスケットボール部のキャプテンを務め、クラスのマドンナ的存在だったそうです。早稲田大学に入学し、在学中にViViやTiara Girl の読者モデルとして活躍され、東京ガールズコレクションにも出演経験があります。
※モデル・渡辺由布子さんとは、読者モデル時代から仲良くされているようです

足立沙織1

出典:https://akeynews1111.seesaa.net/
学生時代

足立沙織2

出典:https://akeynews1111.seesaa.net/
読者モデル

大学卒業後は、ファッション業界を志望し、ユナイテッドアローズに就職しましたが、転職をしてクロムハーツのプレス(広報)を担当しています。

中村獅童(2代目)と足立沙織の出会いは?

出会いは2010年頃で中村獅童(2代目)は「穏やかで感じのいい人。すぐに結婚を意識した」そうです。しかし、当時、プレーボーイのイメージ強かったため、「『結婚してください』とプロポーズしたけど、丁重に断られました。4、5回誘って、会ううちに僕のことも分かってくれるようになった」と、結婚前提の交際までの経緯を語られています。

大恩人の中村勘三郎さんが2012年12月5日に亡くなり、喪に服すため結婚を延期しました。
出会いから3カ月後に家族を含めて会食。足立沙織さんの父親が警察関係者で、中村獅童(2代目)の母・陽子さんは「獅童を指導してください」と頼んだそうです。2013年10月に都内の劇場公演が続き、実家から通った時に足立沙織さんも一緒でした。

母・陽子さんも足立沙織さんを娘のようにかわいがっていたようで「朗らかで、あなたにぴったりよ」と中村獅童(2代目)に言っていたそうで、ウエディングドレスや白無垢(むく)も用意していました。

ある時、母・陽子さんが白無垢をかぶって中村獅童(2代目)の前を通ったことがあるそうで、中村獅童(2代目)は「僕は怒ったけれど、それが結婚を許す合図だった」と明かしています。

しかし、その3日後、12月17日に母・小川陽子さんが急死され、さらに結婚は延期になりました。中村獅童(2代目)は「よく5年間待ってくれた。いつも陰から支えてくれて家を守ってくれた。きずなも深まった。一生かけて守りたい」と気持ちを明かしています。

入籍が2015年1月3日にしたのは、足立沙織さんの誕生日が1月4日でちょうど30歳になるのですが、30歳になる前にと決めていたそうです。挙式は3月13日に東京赤坂の日枝神社で行い、披露宴は5月28日に東京・虎ノ門のホテルオークラで行われました。亡くなった母・陽子さんに6月前にジューン・ブライドの花嫁姿を見せてあげたいからだったそうです。

披露宴準備では、思っていた以上に先輩とか、仲間とか、たくさんの方が来てくれそうで、お客さまの席順を決めたりするのでバタバタしていまして。いろいろ決めるとき、足立沙織さんとケンカになったこともあったそうです。

中村獅童(2代目)と足立沙織の披露宴に出席した市川海老蔵の感想

中村獅童 (2代目)2

出典:https://www.sankei.com/

中村獅童(2代目)と市川海老蔵さんは幼少の頃からの知り合いで、「幹弘」と本名で呼ぶ仲だそうです。2015年5月28日に都内ホテルで披露宴を行った中村獅童(2代目)は、母・陽子さんが結婚式の時に着たウェディングドレスを直し、披露宴で足立沙織さんの姿に心打たれ、沈黙の後に「ありがとう」と一言中村獅童(2代目)の眼には光るものがあったそうです。

「私も…ありがとうの一言で全て伝わってくる2人を見て更に心に響き 多くの方が涙していたようでした。思い出すだけで胸が熱く…ありがとうの一言で幹弘のお母さんへの想い、そして沙織さんへの感謝。素敵な夫婦の門出に立ち会う事ができ幸せでした。おめでとうございます。心からそう思いました」と市川海老蔵さん振り返っていました。

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