崎陽軒シウマイ弁当は最強駅弁?食べ放題と工場見学?三代目社長・野並直文はどんな人?【カンブリア宮殿】

駅弁事業者が苦境に追い込まれている厳しい状況にも関わらず、1日で3万2000食を売りまくる驚異の駅弁事業者が創業107年、日本一の駅弁メーカーとして知られる横浜駅・崎陽軒が2015年9月10日、テレビ東京系列『日経スペシャル カンブリア宮殿 〜村上龍の経済トークライブ〜』で特集されます。

 崎陽軒本店 ビアレストラン アリババ(亜利巴巴)

 出典:https://rocketnews24.com/

駅弁として人気が高いですが、地元・横浜では、家庭での食事としても利用され、食べ放題、工場見学もあります。崎陽軒は地元住民の心を鷲掴みにできたのか?冷めても美味しいシウマイに隠された知られざる最強弁当の秘密について、当たり障りなく紹介していきたいと思います。

崎陽軒の歴史【前篇】※シウマイ弁当誕生まで

明治41年4月、4代目横浜駅長であった久保久行氏は、退職後、知人であった高橋善一氏(後の東京駅長)の働きによって、妻である久保コト(旧姓野並)の名で、横浜駅(現在のJR桜木町駅)構内営業の許可を得て、牛乳、サイダー、ミルク、餅を取り扱っていました。

鉄道網の整備によって、横浜駅を桜木町駅とし、横浜駅と平沼駅の間の高島1丁目に新しい横浜駅を設け、平沼駅を廃止するという計画が実施され、(現在の)横浜駅開通と同時に匿名組合崎陽軒がスタート。

1915年(大正4年)8月15日、平沼材木町に営業所をおき、上弁当が25銭、並弁当15銭、お茶4銭で販売。匿名組合になった半年後、支配人であった大塚浅太郎氏が過労のため体調を崩し、野並茂吉氏が代わって就任されました。

野並茂吉は、経営を見直すため、衛生設備・炊飯用具の改良・資本金の充実などに取り組み、崎陽軒発展の第2弾として匿名組合から合名会社に法人化しました。1923年(大正12年)5月15日代表社員には野並茂吉が就任。

合名会社崎陽軒を設立したのも束の間、同年9月1日、関東大震災に見舞われ、二階建ての調理場は崩れ落ちてしまいました。震災の復興のためにも、駅頭では外米の牛丼・カレーライスを販売して非常時の旅客供食に努めたそうです。

野並茂吉

出典:崎陽軒(野並茂吉)

横浜名物崎陽軒のシウマイを独自開発・販売開始!

震災から立ち上がった野並茂吉氏は、他では、小田原には蒲鉾、沼津には羽二重餅、静岡にはワサビ漬、浜松にはウナギというように、土地の名物を工夫していましたが、崎陽軒には特色がないことに気づき将来性を考えたそうです。

「一刻も早く崎陽軒独特の商品を出さねば」と考え、久保久行氏の孫・久保健氏と共に、横浜名物を作る事を決心。1927年(昭和2年)、有名になっていた横浜南京街(現在の横浜中華街)を歩き、突き出しに出される「シューマイ」に目をつけました。

汁もないので弁当の折詰には適していたが、シューマイは冷めたらとても食べられる物ではありませんでした。そこで、南京街の点心職人・呉遇孫(ご ぐうそん)をスカウトし、最後には久保健氏も野並茂吉氏も調理場に入り、呉遇孫(ご ぐうそん)が何気なく貝柱を混ぜて食してみたところ、素晴らしい味になり、1928年(昭和3年)3月、冷めてもおいしいシウマイが完成。揺れる車内でもこぼさぬよう、ひとくちサイズにしました。
※シウマイに使う干貝柱は北海道猿払村産を使用

「シウマイ」の掛け紙 昭和38年

出典:崎陽軒

1928年(昭和3年)、横浜駅が再度、高島町から現在地高島通りに移転。平沼営業所から駅西口東横線ホーム下の土地を借り受けて調理場その他を新設し合名会社崎陽軒の本拠とし、1934年(昭和9年)、東口に購入しておいた土地倉庫に横浜駅前支店として中華料理店を開店。

1943年(昭和18年)、木造二階建て・述べ200坪の中華料理専門の食堂に新築しましたが、肉の統制でシウマイは製造中止、海苔統制で寿司も製造中止、戦時色雑炊を作る雑炊食堂になっていました。

1945年(昭和20年)5月29日、横浜大空襲により西口の営業所、出来て間もない東口の食堂も灰になり、崎陽軒は全てをなくしました。1946年(昭和21年)、横浜駅舎内の構内食堂として、株式会社崎陽軒食堂に営業許可が下り、和洋食喫茶食堂としてKY食堂(KIYOKEN YOKOHAMAのイニシャル)と名づけました。喫茶とは名ばかりで、定食が主体でした。

社章

出典:崎陽軒

1948年(昭和23年)、株式会社崎陽軒食堂と合名会社崎陽軒は対等吸収合併し、社名を「株式会社崎陽軒」と改め、初代社長には野並茂吉が就任。社章には、横浜市章の菱形をかたどり、二つの組合せは合併された二つの崎陽軒を意味しています。

戦前から販売していた「シウマイ」でしたが、東京発の乗客はまだ空腹ではなく、東京へ向かう乗客は駅弁を食べる時間がないという理由で、駅での販売には不向きでした。そこで、販売の形態を考えて1950年(昭和25年)、タバコを売る“ピース娘”からヒントを得て「シウマイ娘」が誕生しました。

シウマイ娘

出典:https://shizuko164.blog.fc2.com/

戦争の傷跡が残る横浜に明るさを取り戻す事も含め、横浜駅ホームに赤い服を着てたすきをかけ、手籠にシウマイを入れ「シウマイはいかがですか」と、車窓から売り歩く「シウマイ娘」が評判を呼び、「横浜にシウマイ娘あり」、「同じシウマイを買うなら、シウマイ娘から」と言われるほどになりました。

 

崎陽軒の歴史【後篇】※シウマイ弁当誕生まで、続きは次へ

崎陽軒の歴史【後篇】※シウマイ弁当誕生まで

1952年(昭和27年)、シウマイ娘がシウマイと共に横浜駅の名物に定着しかかった頃、毎日新聞に連載された獅子文六の小説「やっさもっさ」に、シウマイ娘が登場。翌年(1958年)、この小説は松竹大船により映画化され、シウマイ娘には、桂木洋子さん、野球選手には、佐田啓二さんと当時の売れっ子コンビが扮しました。実際にシウマイ娘の制服・たすきをつけて演じています。
※港ヨコハマを題材にして花咲千代子というシウマイ娘が野球選手の赤松太郎と列車の窓を通じて恋を語る物語

1954年(昭和29年)2月末、崎陽軒食堂から出火し休業となってしまいました。ここに横浜駅東口前にいつまでも戦後色の強い大部分が焼け野原のまま、放置されていたバラックマーケットの状態でした。

横浜駅復興の足掛かりにしたいと焼失した中華食堂跡に「お客さんにシウマイの調理過程が見える総ガラス張りのビル」の建設を考案し、 1955年(昭和30年)9月、総工費6700万円をかけて鉄筋コンクリート3階建て、当時ではめずらしい総ガラス張りの本社ビルを完成。日本初の丸いエレベータ、屋上に上がるとさらにガラス張りの展望台になっていました。翌年には屋上でビアガーデンを開きました。

1955年(昭和30年) 鉄筋コンクリート3階建てシウマイショップ竣工

出典:崎陽軒

原点が駅弁屋だった崎陽軒。ご飯入りの弁当に対する強いこだわりがありました。32歳の野並豊氏(後に二代目の社長)ら開発陣が、戦後間もない時期だったこともあり、800キロカロリーを目標に栄養を第一に考えていたそうです。

幕の内スタイルにして、駅弁の定番である焼き魚と玉子焼きを入れ、横浜名物シウマイ」「横浜蒲鉾」「酒悦の福神漬け」という三名品を揃えて、手握りのシウマイ4個、エビフライ、ブリの照焼、玉子焼き、蒲鉾、福神漬け、昆布佃煮、筍煮。ご飯は今と同じように俵型(ゴマと小梅は付いていない)の型押し。
※発売当時の「シウマイ弁当」内容

発売当時の「シウマイ弁当」の中身(写真は復刻版)。シウマイ4個とエビフライが特徴。

出典:発売当時の「シウマイ弁当」の中身(写真は復刻版)

当初から予想以上の売れ行きを示しましたが、特に評価が高かったのはご飯の味でした。崎陽軒は木の桶にお米を入れて高熱の蒸気を直接注入して蒸しながら炊き上げたる蒸気炊飯方式にしたことでご飯はふっくらモチモチと炊きあがり、冷めても美味しさが持続させていたそうです。

値段も手頃。新聞や雑誌で文化人が話題にしたこともあり、「シウマイ弁当」の知名度は徐々に上がっていきました。「シウマイ弁当」の中身は、この50年で結構変わっているそうです。

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掛け紙の歴史【画像】

初代「シウマイ弁当」の掛け紙。昭和29~34年

初代シウマイ弁当の掛け紙(昭和29~34年) 

2代目「シウマイ弁当」の掛け紙。昭和35~38年

2代目シウマイ弁当の掛け紙(昭和35~38年)

3代目「シウマイ弁当」の掛け紙。昭和39~平成6年

3代目シウマイ弁当の掛け紙(昭和39~平成6年)

 

崎陽軒 三代目社長野並直文のプロフィール

崎陽軒 三代目社長野並直文

出典:https://gendai.ismedia.jp/

1949年、神奈川県生まれ。
1971年に慶應義塾大学商学部卒業。翌年、崎陽軒に入社。
1979年に取締役に就任しました。
1991年、42歳の若さで現職に就く。

会社経営以外にも、横浜商工会議所副会頭、公益財団法人よこはまユース顧問、社団法人横浜中法人会会長など公職を多数兼任しています。

味にはこだわっていますが、持ち物へのこだわりはありません。外車に憧れはありませんし、服も安い量販店で買っています。子供の頃、弊社創業者の一人である祖父に「売家と唐様で書く三代目」という川柳を教えられました。意味は「初代の苦労を見ていない三代目が、手習いに溺れて困窮し、家を売りに出した。しかし皮肉にも『売家』の文字が流麗な唐様の文字だった」というものです。子供ながら「しっかりしなきゃ」と思いました。

から引用

【経営理念】

■崎陽軒はナショナルブランドをめざしません。
真に優れた「ローカルブランド」をめざします。

■崎陽軒が作るものはシウマイや料理だけではありません。
常に挑戦し「名物名所」を創りつづけます。

■崎陽軒は皆さまのお腹だけを満たしません。
食をとおして「心」も満たすことをめざします。

 

シューマイではなく「シウマイ」と呼ぶのはなぜ?

崎陽軒では「シューマイ」ではなく「シウマイ」と表記します。これは開発した初代社長・野並茂吉のなまりのせいだそうです。なまりの発音“シウマイ”をそのまま活かし「シウマイ」と呼ぶようになりました。

実は名前の中に“ウマイ”もかけています。「シウマイ」は、1個16.5gで発売以来レシピは変わっておらず、干しホタテの貝柱を入れることにより冷めてもおいしい味を保てるようにしている。グリーンピースが、中に練り込んであるのも特徴です。

 

工場見学情報

所在地:〒224-0044 横浜市都筑区川向町675番1号
℡:045-472-5890 (8:00~18:00 ※年始を除く)
【アクセス】
▲車▲
第三京浜道路 港北I.C.より新横浜元石川線を新横浜方向へ30秒

▲電車・バス▲
JR・横浜市市営地下鉄「新横浜駅」より
JR北口駅前バスターミナル5番のりば
300系統「仲町台駅」行/「港北インター」下車(所要時間 約10分+徒歩5分)

工場見学予約方法:https://twitter.com/factory/index.html

崎陽軒の歴史、シウマイや月餅の製造工程の説明のVTR見学→昭和30年代の駅販売風景の再現や掛け紙とよばれる駅弁のパッケージ等の復元展示の見学→シウマイの生産工程の見学→できたてのシウマイ・横濱月餅の試食(所要:約90分)

から引用

 

崎陽軒本店 ビアレストラン アリババ(亜利巴”巴”)時間無制限ランチバイキング

崎陽軒本店 ビアレストラン アリババ(亜利巴巴)1

出典:食べログ

中華、洋食、和食に、サラダ、デザートが食べ放題でフリードリンクです。世界の料理が楽しめるワールドバイキングになっているようです。

崎陽軒本店 ビアレストラン アリババ(亜利巴”巴”)

住所:〒220-0011横浜市西区高島2-13-12 崎陽軒本店地下1階
℡:045 – 441- 8720※ランチバイキングの予約不可

【実施日時】
月曜日~金曜日 
11:30~15:00(入店は14:00まで)
土曜・日曜・祝日 
11:30~15:30(入店は14:30まで)

※混雑の際は、2時間制とさせていただく場合あり

【料金】
大人:1,800円(税込)
子供(小学生):1,000円(税込)
幼児(4~6歳):600円(税込) ※3歳以下は無料

 

崎陽軒会社概要

社名:株式会社 崎陽軒
代表者:取締役社長 野並 直文
創業:明治41年4月
資本金:3億4000万円

【事業内容】
1.鉄道旅客用及び一般食料品の製造加工及び販売
2.旅客用雑貨の販売
3.前各号に関する受託販売
4.飲食・喫茶及び宴会場の経営
5.不動産の貸借及び売買
6.前各号に付帯する一切の業務

年間売上高:2013年度 212億円
従業員数:男子329名、女子177名、計506名(2014年1月現在)

それでは、最後にCMの動画でお別れしたいと思います。シューマイではなく、崎陽軒はシウマイですので、ブログやSNSをする時は、注意して下さいね。それでは、番組終了後、更新したいと思います。

 

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