2017年12月27日、オウム真理教による東京都庁の郵便物爆破事件で殺人未遂のほう助の罪に問われたオウム真理教の元信者菊地直子さんの裁判で最高裁判所第1は小法廷の池上政幸裁判長は上告を退けて無罪判決が確定しました。

WIKIPEDIAより詳しい?菊地直子のプロフィールと経歴・学歴

1995年5月16日に発生した「東京都庁小包爆弾事件」の爆発物の原料となる薬品類の運搬役として走る爆弾娘の異名を付けられていた菊地直子さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

スポンサードリンク

菊池直子の17年間の逃亡生活は美人整形して禁断の性生活逃亡だった?

 

 

 

Wikipediaより詳しい?菊地直子のプロフィールと経歴・学歴

 

出典:

名前  菊地 直子(きくち なおこ)
生年月日  1971年12月9日
出身地  埼玉県草加市
血液型  O型
身長  159cm
体重  ??kg
出身高校  大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎
出身大学  大阪教育大学 教育学部障害児教育課程
オウム真理教入信時の情報
ステージ*  師補(スワミ補)
教団での役職  第二厚生省(オウム真理教の中で省庁制を採用)
入信  1989年
ホーリーネーム  エーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター
SNS・ブログ
ブログ  闇が深ければ深いほど 星はたくさん見えるから 菊地直子のブログ(https://naokokikuchi.jugem.jp/)

※ステージとはオウム真理教の序列を示す称号

オウム真理教に出家するまで

菊地直子さんは、父親が大学教員の仕事の都合で転居を繰り返し、小学生時代には大阪で生活をしていた菊地直子さんは、大学教員で大変厳格であり教育熱心な家庭で育てられて大阪教育大学附属高等学校に進学して陸上部に所属してました。

陸上部では3000mで11分23秒の記録を持ち、校内のマラソン大会では大差で優勝や地区大会で上位入賞するほど運動神経が良かったが、陸上競技で痛めた足の治療のためにヨガを始め、当時は両親との関係は非常に悪かったそうです。
※ヨガ道場がオウム真理教の施設と言われているが2015年8月の月刊『創』誌上での手記で全く事実とは異なると否定している

オウム真理教の入信をしようと思ったきっかけは、麻原彰晃(本名:松本 智津夫)の著作の中で指摘される神秘体験を経験したこと

「1997年にハルマゲドンが勃発し、アメリカ合衆国軍によって日本に核爆弾が投下される瞬間、自分自身とオウムの仲間が地下シェルターのようなところに潜んでいる」
Wikipediaより引用

という予知夢を信じてオウム真理教に入信しようとしたが両親に大反対されて外出時に後をつけられるなどされて行動の自由がきかなくなったことから1989年12月27日に家出をしている。

当時、未成年の出家が問題になっていこともあり、オウム真理教は出家は認められないということで、オウム真理教の信者からお金を借りて女性の信徒と一緒に安いアパートを借りて親とは連絡を取るつもりはなかったそうです。

大阪支部道場に居た時に教団の支部宛に母親から連絡があり、大阪支部長の大師だったサマナ(出家修行者)から話し合うように諭され、お金を借りてアパートを借りた事などを説明したところ返すお金を渡すからということで新大阪駅で会うことに。

しかし、家に連れ戻す為のおびき寄せだった事がわかった菊地直子さんは、その場から離れようとしたところに警察手帳を提示されて私服警官に両側に挟まれて警察署に連行されて一旦家に戻りました。

1990年4月に大阪教育大学教育学部障害児教育課程に入学するも大学には一度も通学せず、同年4月20日より2度目の家出をして5月19日にはオウム真理教に出家してしまいした。

 

菊地直子が走る爆弾娘と言われて拘束特別指名手配されるまで

菊地直子さんが最初に配属されたのは山梨県南巨摩郡富沢町(現:南部町)にあった富士清流精舎で1日約15時間の修行を1ヶ月間続けて1990年8月には修行施設としての受け入れ体勢が整った熊本県波野村でCBI(Cosmic Building Institute)とよばれる建築班の業務を行いながら下向(在家信徒に戻ること)するか迷っていました。

1991年夏頃にオウム真理教で「修行をすればこうした境地に到達でき、世界記録達成も可能」という思想から陸上部が発足。

1991年9月に東京陸上競技協会に加盟申請したが、宗教活動をされると困るという理由から断られるも「オウム・スポーツクラブ」として加盟を認められ、世界記録を本気で目指して1991年11月24日に開催された第16回河口湖マラソンを出場を皮切りに多くの大会にオウム真理教陸上競技部として出場。

1991年
河口湖マラソン(3時間23分3秒、完走75人中24位)
1992年
東京国際女子マラソン(途中棄権)
1994年
大阪国際女子マラソン(3時間7分40秒、自己ベスト記録 127位)

一部週刊誌に取り上げられたこともありました。

1995年3月20日午前8時頃、乗客や駅員ら13人と負傷者数は約6,300人をだした国内外に大きな衝撃を与えた東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)において「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(地下鉄サリン事件)」が」発生。

1995年4月19日~4月25日の期間で5回にわたり、山梨県上九一色村の施設から東京都八王子市の某所に爆発物の原料となる薬品類の運搬役をしていたことにより、メディアから「走る爆弾娘」の異名を付けられた。

1995年5月23日(特別手配指定日)、「オウム真理教 地下鉄サリン事件」の警察庁指定被疑者特別指名手配されました。

市民の目撃情報が警視庁に寄せられ、2012年6月3日夜8時前、神奈川県警大和署は神奈川県相模原市緑区城山に潜伏していた菊池直子さんに任意同行を求め、警視庁本庁への身柄送致が行われた後に照合作業を行った結果、菊地本人であると確認して通常逮捕されました。

逮捕後に、両親のコメントが公開されている。

娘、直子が多くの皆様に大変なご迷惑をおかけしました。長く逃げていて社会に不安を与えました。
親として、被害者・遺族の方々に、深く深くおわび申し上げます。
私どもなりに、直子をオウム真理教と引き離そうとしてきましたが果たせず、1990年の出家後は全く連絡が取れず、このようなこととなってしまい、親としての力の無さに愕然(がくぜん)とするばかりです。

娘直子へ。
あの時、直子の気持ちを分かってやれず、ごめんなさい。
あの時は、何をどうしたら良いか分からなかった。
直子、生きていてくれて、本当にありがとう。
ぐっすりと眠って、疲れを取って下さい。

今日、高橋克也も逮捕されたと聞きました。

直子、オウム真理教は理想郷を作れず、作りませんでした。
もう分かっていると思います。
オウム真理教はとてもひどいことをしました。
直子、ご遺族や友人はもう殺された人に会えないんです。
被害者は生きていたかったんです。
直子はそのオウム真理教の一員だったんです。
どうか、事実を直視していってください。

直子、あなたに会いたい気持ちで一杯です。
皆さまには申し訳ないことですが、娘に会いたい気持ちであることをどうかお許しください。

ここに改めて皆様に深くおわびし、また直子に伝えます。

2012年6月15日 父 母

 

逮捕された菊池直子さんは3つの事件で起訴されることになります。

■3件のVXガス事件 → 「事件にかかわったかどうかわからない」と容疑を一部否認の結果不起訴

  • 駐車場経営者VX襲撃事件
  • 会社員VX殺害事件
  • オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件

■地下鉄サリン事件 → 「当時は何を作っていたか知らなかった」と容疑を一部否認の結果不起訴

■東京都庁小包爆弾事件

東京都庁小包爆弾事件において殺人未遂と爆発物取締罰則違反容疑で再逮捕され2012年8月6日、殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の各幇助罪で起訴。

2014年5月8日、東京地方裁判所で裁判員裁判の初公判が行われ、同年6月30日に懲役5年(求刑懲役7年)の判決されたが即日、判決を不服として東京高等裁判所に控訴。

2015年5月13日に控訴審がはじまり、同年11月27日、無罪判決を受け、東京拘置所から釈放。

2015年12月9日に検察側が上告したが、2017年12月27日に最高裁で検察の上告が棄却されると決定されたことで無罪確定。

(2017年12月27日時点)