2017年11月25日、日本テレビ系列『のどじまんTHEワールド!~2017 秋~』では、これまで参加国数49の国と地域、出場者数は211人で2011年の初回から17回目を迎えます。
出典:https://wmdf.org/
今回、13の国と地域から精鋭15組が集結した中でウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」を演奏しながら坂本冬美の名曲「また君に恋してる」を歌い上げた1児の母であり、バンドゥーラ奏者のカテリーナさんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
カテリーナ・グジーの姉がバンドゥーラ奏者・ナターシャ・グジーだった!?
「バンドゥーラ奏者」と「グジー」という単語で気がついた人もいるかもしれません。カテリーナ・グジーさんは4人姉妹の末っ子で、日本でバンドゥーラ奏者として活躍しているナターシャ・グジーさんは実姉です。
出典:https://www.gfe.co.jp/
(姉・ナターシャ・グジー)
日本で音楽活動をしていた実姉・ナターシャ・グジーさんに呼ばれる形で日本に2006年12月から来日して音楽活動を行っています。
姉のナターシャ・グジーさんは、福島の原発事故後から自らのチェルノブイリでの体験を通して原発の危険性を訴える活動をしているそうです。
チェルノブイリ原発事故でカテリーナ・グジーは故郷を失っていた
事故から2〜3日後、私たち家族はパパとママの故郷に避難しました。確かチェルノブイリから数百キロは離れていたと思います。当時の旧ソ連政府が、ラジオで避難を呼びかけたそうです。「一番大事な物だけ持って、3日間だけ避難して下さい」。避難用のバスが出て、住民はそれに乗って各地へ避難していきました。やがて私の生まれた街は、立ち入り禁止区域になったそうです。
私たちは、アパートを借りて住みました。パパやママの実家ではないです。私は4人姉妹の末っ子で、つまり両親を入れたら6人。その上私のママは4人姉妹の長女で、ママの妹さんたちはおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいた。そんなところに大家族が押しかけていくわけにはいきませんよね。
その後ウクライナを転々とした後、私たちはキエフに引っ越しました。避難者用の仮設住宅が建てられており、そこに住むことになったんです。
https://www.myeyestokyo.jp/から引用
チェルノブイリ原発事故
1986年4月26日1時23分にソビエト連邦(現:ウクライナ)が独自に設計開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉 (RBMK) のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で炉心溶融(メルトダウン)で爆発起きた世界で最大の原子力発電所事故の一つ。
来日する前に2004年4月17日~5月1日の間、姉のナターシャ・グジーさんと共に日本全国で「チェルノブイリ18周年救援コンサート」を開催。父親は、爆発した4号炉ではなかったそうですがチェルノブイリ原発で働いていた事故当時の体験を語ったそうです。
今では、カテリーナ・グジーさんは夫と息子を暮らしている日本が第二の故郷だそうです。
Wikipediaより詳しい?カテリーナ・グジーのプロフィールと経歴・学歴
出典:https://www.facebook.com/
名前 | カテリーナ・グジー |
英語表記 | Kateryna Gudzii |
生年月日 | 1986年3月??日 |
出身地 | ウクライナ・プリピャチ |
血液型 | |
身長 | |
体重 | |
スリーサイズ | B W H |
カップサイズ | |
出身高校 | |
出身大学 | |
著名な家族 | ナターシャ・グジー(姉・ウクライナ政府公認バンドゥーラ奏者) |
職業 | ウクライナ政府公認バンドゥーラ奏者 |
SNS・ブログ | |
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カテリーナ・グジーさんは、ウクライナ・プリピャチ*で生まれてすぐにチェルノブイリ原子力発電所事故により、転々を引っ越しをしてウクライナの首都キエフで避難者用仮設住宅に両親と姉妹4人(カテリーナ・グジーさんが末っ子)で暮らしました。
※1986年4月26日1時23分にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きたチェルノブイリ原子力発電所事故で現在は無人になっている
首都のキエフでチェルノブイリ原発事故の避難民のために作られた街に移住してから新たに買ったピアノで3歳の頃には作曲をしていたカテリーナ・グジーさんは、母親に歌やピアノが上手くなりたいとお願いしたところ音楽の先生に「バンドゥーラを習えば、ピアノも習える」と言われて音楽学校に通い始めました。
幼少期からツィター*1やリュート*2の特徴を併せ持ったような構造とおよそ50~60の弦からなる音色を持つウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」に触れてきたカテリーナ・グジーさんは、6歳の頃には歌が大好きでした。
故郷で小さな音楽グループを組んでいた人が歌や踊りに興味がある子どもたちを集めて「チェルボナカリーナ」という民族音楽団のオーディションに合格して活動を始めました。
「チェルノブイリから避難した子どもたちだって こうして元気に歌ったり踊ったりしている」というアピールの目的もあり、民族音楽団「チェルボナカリーナ」は、キエフでコンサートを開催したところドイツ公演のオファーをもらい、7歳の頃にドイツで演奏を披露したそうです。
*1出典:https://www.musashino-music.ac.jp/
(Lute/リュート)
*2出典:https://tassi.livedoor.biz/
(Zither/ツィター)
1996年(10歳)、フォトジャーナリストの広河隆一さんらの支援もあり、来日。2年後の12歳の時に2度目の来日で日本人の親切さや優しさ、人の手で愛情を込めて丁寧に作られた贈り物(折り鶴)をもらってから日本で本格的な活動をすることに興味を持ちました。
16歳からカテリーナ・グジーさんは、ウクライナ・レフゥツキー音楽専門学校で本格的に声楽、バンドゥーラの演奏技術、音楽理論を学んだ後、2006年12月に音楽活動の拠点を東京に移すため再来日しました。
大阪府出身の男性と結婚して2009年11月頃に息子を出産。
2010年に1stアルバム「バンドゥリステ (Banduriste)」を発売。
※以前に発売していた「私のメロディア」と同じ曲内容
2012年7月16日に放送された日本テレビ系列『のどじまんTHEワールド!~2012夏~』に出演。
2014年8月16日に放送されたテレビ朝日『関ジャニの仕分け∞』の日本の歌大好き外国人vs日本人「真夏のカラオケ2時間SP」に出演。
2014年9月5日、2ndアルバム「バンドゥリステII(Banduriste II)」を発売。
2017年11月25日、日本テレビ系列『のどじまんTHEワールド!~2017 秋~』に出演
(2017年11月時点)
カテリーナ・グジー原発事故を2度も経験
2011年3月11日(金曜日)14時46分18秒に東日本大震災が発生した時、カテリーナ・グジーさんは1歳半の息子と水泳教室のプールのど真ん中にいたそうです。
※当日は、水泳教室から以前言われた「もし地震が起きた場合でも、すぐ着替えることができますから」という言葉を急に思い出したそうです
プールから出たくてもプールの窓や天井がガラスだったため、揺れが落ち着いてから脱出し、一緒にプールに行ったママ友だちを主人が戻るまで自分の家に連れて行き、カテリーナ・グジーさんの夫は四谷にある職場から歩いて深夜1時頃に帰ってきたそうです。
カテリーナ・グジーさんはやっと安全な場所で生活できると思っていた日本で人生2度目の原発事故は起こり、母親から「遠くに引っ越すか、ウクライナに帰ってきなさい」と説得されたそうです。
しかし、カテリーナ・グジーさんは、夫も息子もいる日本で生活基盤を築いてきたことを母親に伝え「家族で決めなさい」と言われてから夫婦で相談して「もし危険になったら子どもと住める地域を考える」という結果にまとまったそうです。