日本テレビ系列『有吉反省会』では「手足などのパーツモデルなのに、最近顔を出し始めていること」を反省しに俳優・金子貴俊さんの姉でパーツモデルの金子エミさんが出演です。

金子エミ1

出典:https://natalie.mu/

1991年のモデルスタートから2008年までにCM100本、雑誌出演は数百本をこなし、パーツ美容研究家・パーツモデル業・二児の母・事業と一人四役をこなすパーツモデルの金子エミさんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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WIKIPEDIAより詳しい?金子エミのプロフィールと経歴・学歴

金子エミ

出典:https://www.oscarpro.co.jp/ 

名前
(読み方)
 金子 エミ
(かねこ えみ)
生年月日  1970年11月14日
出身地  東京都
血液型  A型
身長  158cm
体重  ??kg
靴のサイズ  23cm
スリーサイズ  B83 W58 H82
カップサイズ  ??
出身高校  
出身専門学校  
特技  器械体操
趣味  ドライブ、料理、スキンケア、水泳
免許  普通自動車
著名な家族  金子貴俊(俳優・弟)
事務所  オスカープロモーション
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ブログ  金子エミ オフィシャルブログ
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金子エミさんの性格は、やりたいことはぜんぶやりたい、やってみてだめだったら、そのとき考えようというタイプだそうです。

器械体操 受賞歴

1981年 全日本ジュニア体操競技選手権大会出場
1982年 全日本ジュニア体操競技選手権大会
東日本大会個人出場総合4位 種目別平均台2位
1982年 全日本ジュニア体操競技選手権大会個人総合

※注意※

金子エミさんを検索するとGoogleサジェストキーワードに「離婚」が表示されますが、同姓同名の「夫である前衆議院議員宮崎謙介とは離婚しないことを決断し、ここにお伝えします」と自身のFacebookに綴った衆議院議員の金子恵美さんの事で金子エミさんとは一切関係がありません。

 

中学生の時にはホリプロのスカウトキャラバンを受けた経験があり、芸能界に興味はあったそうです。
※ホリプロのスカウトキャラバンは落選しています

実家がクリーニング屋で、ときどきレジ打ちのバイトをしていたところに偶然訪れた芸能関係者から「ここでバイトするより、手タレ(手のタレント=パーツモデル)をやったほうがいいよ」と言われました。

当時、エアロビクスのインストラクターを目指して専門学校在学中で自分で手の写真を撮り、モデル事務所に書類を出し、面接へと進みましたが、その頃ちょうど旅行帰りで日焼けをしておまけに指輪の後も付いていたので、門前払い状態でした。

手タレ(手のタレント=パーツモデル)は、手の形さえよければできると思っていたそうですが、そういうことではないってことに気付き、早く日焼けの跡が消えるようにゴマージュ(古い角質や毛穴の汚れを除去するエステ)や手に対して顔と同じようにケアをするようになり、再チャレンジしてモデル事務所SOSに所属し、1991年からパーツモデルの仕事を始めました。
※最初の仕事は、洗剤のCMですが洗い物をしている自分の手のアップのみだったそうです

専門学校を卒業後は本格的に手タレ(手のタレント=パーツモデル)の道へ進んでいき、オーディションも受けて要求されている事はなんなのかを質問したり、それをすぐ、その場で演じてみせたり、金子エミさんはすごい乾燥肌の為、ちょっと待っている時間でもそのままにしていると手の状態があまりよくないらしく、いつも手袋の手の甲側だけに化粧水を吹きかけて最高の状態でオーディションを受けていたそうです。
※手タレ(手のタレント=パーツモデル)のオーディションは結構あるそうで、金子エミさんの場合は10回行って8回は受かっていたそうです

1996年(26歳)、サーファー好きな男性と結婚しました。結婚をする前は、ずっと手袋をしていて手を使うのは仕事だけで、あとはなんにもしない生活をしていたそうで、その時はまるで人間の手じゃないぐらい綺麗だったそうです。

1996年、日本初の爪全体が模様になるネイル転写シートを開発し、ブランド名『ANIMALER(アニマラー)』として全国300店舗にて発売したところ大ヒット商品になりました。

1997年7月19日、長男・海人(かいと)くんを出産したのですが障害(ダウン症)を持って生まれ、合併症の心疾患や肛門がふさがっている状態「鎖肛」と診断されました。

人生が終わったと思ってしまい、育てていくことに不安を感じしていたそうですが、一生懸命ミルクを飲む長男・海人(かいと)の姿や手術を乗り越えた姿を見てこの子を誰にもかわいそうと思わせない」と固く決意して育てていくことに。

子育てに協力的だった元夫だったそうですが、長男・海人くんを外に散歩にも連れて行くことを拒み、好きだった海に行くことも少なくなり、仕事まで辞めてしまいました。

海人くんが9ヶ月になった頃からモデル業を再会し、ネイル転写シートの事業が成功していた金子エミさんは仕事を辞めた夫に事業を手伝ってもらいながらも、元夫との暮らしが重荷になりはじめていくことに・・・。

30歳で無料だからと受けた子宮がん検診で「Ⅲb(がんになる可能性がある状態)」と診断された金子エミさんは、長男・海人くんを何としても育てるためにも治さなくてはと思いながらも事業を手伝っていた夫の事も自信が背負っている気分に滅入ってしまったことから2001年に離婚し、5年間の結婚生活が終わりました。

一生懸命ミルクを飲む長男・海人(かいと)をみていくうちに夫の村井清隆さんから「一緒に頑張ろう」と言ってくれたことが離婚の回避になりました。
※1年半程、手タレ(手のタレント=パーツモデル)業を休業しましたが1999年には再開

2002年から2005年にはクリスチャン・ディオールのネイル商品の企画製造も手がけ、切り取る場所で絵柄のかわるディスク型ネイルシールを開発して『emi+o…』というブランド名で人気を博しています。

子宮に見つかった病変の場所が悪かったことで円錐切除しかないと言われた金子エミさんは、子供が産めなくなる可能性があると医師から説明を受けて複数の病院を訪れ、藁にもすがる思いで伯母に紹介してもらった病院で病変を焼いて治す方法により将来の妊娠も可能になりました。

中京テレビ局のプロデューサーの村井清隆さんと再婚し2004年、次男・律心(りお)くんを出産。

【おそとでメディキュット】 2012MUJ×金子エミ 美脚化計画!

 

毎日の手のケアで心がけていることは、スプレーボトルに化粧水を入れていつも持ち歩き、ハンドクリームと乳液とボディクリームは必ず温めて塗るそうです。
※ハンドクリームと乳液とボディクリームは水(化粧水)に溶けるものを選んでいるそうです

手タレ(手のタレント=パーツモデル)としては年齢とともに限界があると感じている金子エミさんは、外資系化粧品会社の定年退職を経て、美容アドバイザーの佐伯チズさんを目標(憧れ)として将来は美容研究家として生涯現役を目指しています。

2016年7月15日から7月22日にかけてイタリア・フェレンツェで開催されたダウン症世界水泳選手権大会(正式名称:TRISOME Games 2016)の自由形50m、背泳ぎ50mの日本代表として長男・海人(かいと)くんが出場しました。
※50m背泳ぎは47位、100m背泳ぎは26位、男女混合メドレーリレーは日本12位という結果でした(スタートの合図が英語など日本の大会とは全く違うのが原因で出遅れてしまったそうです)
※詳細は
金子エミとカイトの奮闘記

離婚、子宮がんの疑いや長男・海人さんの子育てなどノンフィクション・コミックエッセイ『美容家ママとダウン症カイトの世界水泳奮闘記!世界は君のもの』をオレンジページから2016年11月19日に発売。

 

出典:https://www.orangepage.net/

(2016年7月時点)