掛神淳(琴平荘主人)の経歴Wikiプロフやラーメンの場所や情熱大陸で魅せた究極の1杯の挑戦

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毎日放送制作・TBS系列『情熱大陸』では、元々は祖母が始めた民宿経営を引き継いだ旅館「琴平荘」の調理担当として閑散期だった冬の集客のため期間限定で全国ラーメン店を食べ歩いてラーメン店を始め、日本一ラーメン消費量が高い山形県で3時間待ち行列ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんに密着。

掛神淳9

出典:https://twitter.com/

ラーメン店で修行はせずに独自で研究を重ね作り上げた自家製醤油ラーメンは、お客さんの要望もあり今では10月から5月の8カ月間の営業を行っており、2010年にトビウオの焼き干しを自作で始めた人気店であり、母親・洋子さん、妻・知子さん、長男・瑛さんと供に店を切り盛りする掛神淳さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳と宅麺の関係は・・・

日本最大級ラーメンECサイト「宅麺.com」を運営するグルメイノベーション株式会社では、最も売れたお取り寄せラーメンとして「お取り寄せラーメンオブザイヤー2年連続”総合大賞”」を受賞しているラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんにインタビューされています。
※お取り寄せラーメンオブザイヤー2014,2015と受賞している

国産チャーシューと拘りメンマ、上質な淡麗醤油スープと驚きの加水率50%以上の自家製ちぢれ麺で構成された琴平荘の中華そばは、大親友の札幌「麺処まるは健松丸」の店主・長谷川朝也さんから薦められたからだそうです。
※2013年に長谷川朝也さんは亡くなられている

中華そば処として期間限定で営業している旅館「琴平荘」ですが、主人・掛神淳さんは、日頃からスープをとったり、麺を打ったりすることで、いわば腕が鈍らないようにしておきたいという思いと遠方からなかなか食べに来られない方に食べていただきたい、と思ったからでした。

昭和40年(1965年)に祖母・洋子さんが始めた簡易宿泊所として始め、その後は両親が勤め人を辞めて旅館として会社形式にした日本海を一望できる旅館「琴平荘」は、夏場の稼ぎだけで1年を暮らせるほど盛況な時期もありました。

売店だけで1日50~60万円の売上げがあった時があり、今の1日の中華そばの売上げよりも売店だけの売り上げの方が多かったとラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんが、当時を振り返っていました。

2018年6月の地震で旅館「琴平荘」の風呂場の天井が割れて空が見えてしまう程の酷い被害に遭ったため、第17期(2018年10月1日~2019年5月31日)の営業から「中華そば処 琴平荘」のみに専念。

冬場の閑散期対策だったラーメン店をしていなければ完全に倒産していたそうです。

今回、情熱大陸で密着されたラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんについてさらに深掘りしてみたいと思います。

旅館「琴平荘」を廃業して現在はラーメン店「琴平荘 中華そば処」で営業中

山形県鶴岡市、海風は刺すように吹き付けてくる街から国道沿いでもなく、車で1時間の場所にある不便な場所と言っても過言ではない所に連日、ラーメン王国と言われる山形県で別格と言われている都会では考えられない大広間の「琴平荘」でお客さん達が列を成します。

TRYラーメン大賞5連覇の中華蕎麦「とみ田」の店主・富田治さん曰く「比較的あっさりしている 味わいがあっさりしているんですけど あの量(麺240g)を飽きないで食べさせる力は あのラーメンにはある (ラーメン)バカだと思いますね ただならぬ感じですよね」と言わせてしまう主人・掛神淳さん。
※2018年5月の時点では麺の量は220g

琴平荘 ~中華そば処~

午前10時過ぎ、ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんは、開店準備を万端に迎え、厨房が慌ただしい中で営業後は数時間何も口にできなくなるためにまかないの遅い朝食をかき込みます。

営業前から早くもお客さんが並び始めるラーメン店「琴平荘 中華そば処」は営業開始の11時になると整理券が配られ、元々、旅館だった「琴平荘」は寒風の中で待たせるのは忍びないと、出遅れたお客さんは宴会場で待つことができるそうです。

山形のラーメンランキングで何度も頂点を極め、唯一殿堂入りしているラーメン店「琴平荘 中華そば処」の人気の秘密は数多くなるようですが・・・

  • 熱々を楽しんで貰うために盛り付けギリギリまで器は熱湯に浸けている
  • 醤油ベースに ほどよく魚介をきかせ、すっきりと清んでいるスープ
  • 中華そばと銘打っている通り、見た目はどこか懐かしい

といった拘りが、ちりばめられています。

掛神淳13

ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんのラーメンにチャーシューやメンマをそえるのは、妻の知子さん。

掛神淳10 掛神淳12掛神淳11 

83歳になる母親の洋子さんは、もっぱらチューシュー作りを担当、長男の瑛さんは仕込みだけでなく、配膳を担当するなど、ラーメン店「琴平荘 中華そば処」は、絵に描いたような家族経営です。

スープがなくなり次第営業終了にしない理由は?

1玉の平均160gといわれていますが、ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の場合は1玉240gもあります。

営業時間は午後2時までですが、最後のお客さんを送り出すのは、いつも15時から16時になるそうです。

つまり、2時までに並んだお客さんを最後まで提供しているということです。

ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんに情熱大陸の番組スタッフのインタビューした内容でも

Q.スープがなくなり次第営業終了ではないのですか?

ダメですね わざわざ ここまで来てくれるんですから売り切れ次第終了っていうのは・・・
街の中だったら ここ終わったから次の店行こうかって選べるかもしれない
やっぱりウチに来るお客さんはウチのラーメンを食べたくて来るわけですから許されないと思います 売り切れっていうのは

と、語っていました。

「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳のラーメンに懸ける想いは?

早朝6時から仕込みを始め、客室の1部屋を製麺機が占領しており、長野市にある日穀製粉株式会社製の「琴平荘専用粉」を使って標準よりも水を多く使った多加水麺でモチモチとした縮れ麺を作り、冷蔵庫で3日間寝かしているそうです。

加水率・切刃だけでなく、麺を置く期間にもよるし、茹で時間にも関係してくるために同じ小麦粉を使っても同じ製麺機でも全く違う麺になってしまうのが面白いというか怖いと言うかと語っている。

鶴岡市では、いいお客さんが来るとラーメンの出前をとって食べさせるという文化があるそうです。

ラーメンが好きだから食べ歩いていた掛神淳さんは、好きで自分で遊びのラーメンを作り始めて自画自賛していましたが、2002年に11月から3月までの冬場限定で中華そばを開店。

中華そばを始めた当初は、製麺屋の麺といえば黄色い麺で、常温で2~3週間、夏でも持ってしまうという麺を使うだけでは個性が出ないと自家製麺にこだわるようになりました。

山形県酒田市を中心とし庄内地方北部が発祥とされているラーメン”酒田ラーメン”が有名で8割が自家製麺を使用、酒田市からに「鶴岡は麦切り」と馬鹿にされたような時代があったそうですが、現在は鶴岡・酒田のレベルは関係なくなってきている。

飛島のトビウオの焼き干しを仕入れて使っていましたが、値段が4000円~5000円/kgと高価で不漁で獲れない時期があることで安定に仕入れられない事があり、トビウオをやめるか、自分で作るか迷ったそうです。

現在は、地元の網元から直接トビウオを原価で仕入れて600円/1kgぐらいの値段で入手し、地道に夏場に自ら天日干しをしてコストを抑えています。

メンマは、乾燥メンマの状態から1週間かけ仕込み、4時間かけて魚介からとった出汁を豚肉や鶏肉、野菜などのスープと合わせて旨みを幾層にも重ねた醤油スープを作っています。

ラーメン店「琴平荘 中華そば処」の営業期間は、10月1日から翌年5月31日までで夏場は敢えて休業して味の改良などの期間に当てています。

情熱大陸の密着していた番組スタッフのインタビューに・・・

Q.休みの期間は極力お店の事は考えないんですか?

(仕事のことは)ずっと考えてますね 常に考えてる
寝ても考えてる 
夜中に目が覚めても考えてます
「ウチのお客さん」はいないんですよね
そういう言い方しちゃいけないと思う
ラーメンを食べるお客さんは一番浮気性なんですよ
美味しいお店に行きますから
でも今年も常連さんが戻って来てくれて常連さんが
また同じスパンで通い続けてくれるわけですから
後・・・最後は自分の舌ですもんね
食べて「この味なら今期もいけるわ」と

「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳は定休日 何をしているの?

評判店には必ず学ぶべきものがあると絶えず、己のラーメンの進化を心がけている掛神淳さんは、毎週木曜日の定休日は、決まってラーメンの食べ歩きをします。

時には遠方に行くこともあるそうで、埼玉県新座市にある「ぜんや」の塩ラーメンを食べて、「お世辞なして本当に美味い やる気出てきました これで」と絶賛。

3分足らずでラーメンを食べる豪快っぷりの「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳さんが、番組の密着時に来店していたラーメン店は「麺工房 太麺屋」でした。

街に出た次いでに理髪店に立ち寄った掛神淳さんは、セットするのが面倒だという事から高校時代から同じヘアスタイルをしているそうです。

パーマをしている最中は、好きな競馬新聞に熱中。

1日の仕事が終わっても休まずに粛粛と手を抜かずに家族の夕食の支度を始める掛神淳さんは「夜8時か9時に寝るでしょ こでれ夕食も作らないで呑んでたら(家を)出されますよ」と笑いながら旅館時代からの名物だった白滝とたらこの煮こごりをあえた郷土料理を作っていました。

他にも2019年11月上旬に【琴平荘×比内地鶏 中華そば 醤油味2人前】を発売しています。

発売にあたる経緯は、比内地鶏製品の製造・販売を行う「有限会社 秋田味商」の工藤真史社長が、秋田の比内地鶏のバターのような風味をもつ旨みを加えたメニュー開発の想いを手紙に書いたのが始まりでした。

ラーメンを始めた時、最初に使った食材が比内地鶏でありながら、コスト面を理由に比内地鶏の使用を断念した経緯を伝えた掛神淳さんでしたが、メニュー開発を持ちかけられて1年ほどかけて共同開発して【琴平荘×比内地鶏 中華そば 醤油味2人前】を2019年11月上旬に発売。

秋田・山形限定販売と秋田味商でオンライン販売をしています。

山形県内取扱店は、もちろん「琴平荘」と「ANA FESTA 庄内空港店」で発売している。(2020年1月時点)

「琴平荘 中華そば処」の主人・掛神淳が新年の営業初日に試した事とは・・・

新年の営業初日の2020年1月2日は、あいにくの嵐でした。

実は、ソウダガツオとサバの配合を変えたそうですが、スタッフは前の週も食べてますけど全く変わらなく「美味しい」と言ってくれたそうです。

逆にスタッフ全員「(味が)変わった!」となると困る事で、気付かれないように変えるのがベストと語る掛神淳さんの味だけを追求する直向きさが、きっとお客さんと引き寄せているのだと思います。

番組スタッフは、再び掛神淳さんに「なぜ正月2日から早々とお店をあけるのか?」と質問したところ「故郷に帰省した人達に 思い出の味を堪能して欲しいから」と真剣な眼差しで答えたそうです。

客足が鈍るかもしれないと思う中で掛神淳さんは、そんな不安など何処吹く風で常連の誰一人、微かな配合を変えたスープの味の変化に気付かずに笑顔で帰って行きました。

まとめ:Wikipediaより詳しい?掛神淳のプロフィールと経歴・学歴

掛神淳7

出典:https://twitter.com/

名前
(読み方)
 掛神淳
(かけがみ あつし)
生年月日  1965年5月1日
出身地  山形県鶴岡市
血液型  
身長  
体重  
出身高校  酒田南高等学校
出身大学  東京国際大学 中退
職業  琴平荘 中華そば処の主人
SNS・ブログ
ホームページ  https://soba.sanze.jp/
Facebook
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php?id=100004311189628
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ツイッター
 
ブログ  https://konpirasou.sanze.jp/
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インスタグラム
 

掛神淳さんがミルクを飲んでいる時に母親・洋子さん曰く、おんぶして寿司店に入った時に私を足で蹴るので、寿司店の店主が「食べさせてみるか」とヒラメを口に入れたところ、いくらでも食べるので「食べる」ことに特殊な何かを持っていると感じたそうです。

掛神淳4掛神淳3

山形県鶴岡市内で小中高と過ごし、当時は地元では不良の集まっていた山形県酒田市浜田にある私立の酒田南高等学校に通った掛神淳さんは、グレることはなく英語が得意で何か英語でできないかと思ったそうですが、父親に「一人っ子で後継ぎとして社会勉強として大学でも行ってこい」と埼玉にある東京国際大学に入学。

掛神淳2

しかし、あまり勉強する気もなくなってしまい試験は受けずに留年して卒業せずに1年半で戻ってきた掛神淳さんは、地元に戻って父親が経営していた炉端焼き屋を手伝うようになり、和食のイロハを身につけました。

掛神淳1

23歳に妻・知子さんと結婚して一男二女に恵まれ、娘2人は既に家を出ている。

ラーメン店を始める前から仙台あたりに毎年春休みとか子供連れて遊びに行っていた時も、家族を遊園地に連れて行った後に掛神淳さんひとりでらーめんを食べに行っていた。

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