2017年6月7日、TBS『実録!マサカの衝撃事件』では2006年4月10日に小学校4年生(当時9歳)の自分の娘・畠山彩香ちゃんが水死体で発見され、同年5月18日には小学生1年生(当時7歳)友達の米山豪憲くんが遺体で発見された秋田児童連続殺害事件について真相とテープレコーダーが公開されます。
自分の娘・畠山彩香ちゃんと友達の米山豪憲くんの命を奪ったのは畠山彩香ちゃんの母親・畠山鈴香さんで、狂気の子育てや近所に住んでいた米山豪憲くん殺害のまさかの動機、被害者の父親(勝弘さん)がみせた執念から警察の初動捜査ミスを追求したテープレコーダー初公開など当たり障り無く紹介してみたいと思います。
目次
Wikiより詳しい?畠山鈴香のプロフィールと経歴・学歴
出典:
名前:畠山 鈴香(はたけやま すずか)
生年月日:1973年2月2日
出身地:秋田県二ツ井町(現・能代市二ツ井町)
血液型:―型
出身高校:秋田県立二ツ井高等学校
刑務所:福島刑務所※情報に根拠なし
ダンプの運送会社を経営していた父親に小学校高学年以降から暴力をふるわれ、中学生に入ると髪の毛を引っ張り引きずり回されるなどさらにエスカレートしていたそうです。
家庭内以外でも学校で「心霊写真」や「ばい菌」などと呼ばれて友達がいなかったようで万引きした文房具を配って気を引こうとしたこともあるそうです。中学時代はほとんど無視をされ、高校時代は、いじめに遭うのを避けるためにリーダー的存在の使いっ走りで回避していたそうです。
出典:https://twitter.com/
- 会ったら殺す!
- あと二度と会うことはないだろう。じゃーな
- ひゃ~な。帰ってくんなョ
- bye2 一生会わないでしょう
- 秋田から永久追放
- 仕事やめで秋田さかえってくるなョ
- 秋田の土は二度とふむんじゃねえぞ
- もうこの秋田には帰ってくるなョ
- いつもの声で男ひっかけんなよ!
- 山奥で一生過ごすんだ♪
- 戦争に早く行け
高校の卒業文集では同級生から辛辣(しんらつ)な言葉の寄せ書きが残っており、教師が何の疑問も抱かずに印刷して配布したのかは不明だが世間では疑問の声もあがったようだ。
秋田県立二ツ井高等学校卒業後は父親の暴力から逃れたい思いと友人を通じて知り合った男性と駆け落ちのように栃木県内の鬼怒川温泉にあるホテルで仲居やコンパニオンとして働いたが2年で辞めて実家に戻りました。
実家に戻ってからは実家が経営しているダンプの運送会社の1歳年下のトラック運転手と付き合い結婚。畠山鈴香さんが24歳の時に長女・彩香ちゃんを出産。
畠山鈴香さんは、家事は一切せずにパチンコと病的な夜遊びで借金を抱えるようになり、口論が絶えず愛想を尽かして長女・彩香ちゃんが生まれて半年後には離婚しました。
※もっと夫が証人尋問で証言。畠山鈴香さんは口論時に鋲(びょう)付きのジャンパーを彩香ちゃんに投げつけた」のが離婚のきっかけと述べている(元夫は当時、鋲(びょう)付きのジャンパーを持っていないと証言)
離婚後は、スーパーやパチンコ店の他にスナックでホステス、宴会のコンパニオン、生命保険の営業外交員など職を転々としながら女手一つで彩香ちゃんを育ててきたそうです。近所の付き合いもほどんどなく、2003年頃からは精神科に通院や睡眠薬と精神安定剤が手放せない状態だったそうです。
※色仕掛けでて契約を取っていたという噂や女性の仕事では偏見を持たれやすい仕事もしていたようです
秋田児童連続殺害事件の経緯は?裁判で明かされた残虐な本性とは?続きはPages2へ
秋田児童連続殺害事件の経緯は?
2006年4月9日 18時40分過ぎ
小学4年生(当時9歳)の畠山彩香ちゃんを大沢橋の欄干に連れて行き、突き落として殺害
2006年4月10日
自宅から南へ約10km離れた秋田県能代市内の川で小学4年生の畠山彩香ちゃんを死体で発見され、秋田県警は当初は誤って川に落ちたものと断定して事故と判断していた
出典:https://blogs.yahoo.co.jp/
畠山鈴香さんは「娘は事故死ではなく殺害された」と主張して犯人探しのビラを配るなど、娘を亡くした不幸な母親を演じるがオーバーな言動や態度に近所の住人は不審を抱き始めた
2006年5月17日 15時
約束の時間になっても場所に現れないと友人が自宅に行ったところ、下校途中に別れてから小学生1年生の米山豪憲くんが帰宅していないことが判明
2006年5月17日 17時
家族が秋田県警に捜索願を提出
2006年5月18日 17時
ジョギング中の男性が能代市の市道脇で米山豪憲くんの遺体を発見した状況から殺人事件と断定し、捜査本部を設置
※司法解剖の結果、死因は首を絞められたことによる窒息死と判明
2006年6月5日
僅か1ヶ月間に同じ団地内で児童が2人も亡くなっていることにマスコミも連日のように報道されたことで現場は大騒ぎだったようです。畠山鈴香さんも積極的にインタビューに応えていました。
米山豪憲くんの死体遺棄の疑いで畠山鈴香さんを逮捕
2006年6月6日
畠山鈴香さんは小学生1年生・米山豪憲くんの殺害をほのめかす供述を始める
2006年6月25日
小学生1年生・米山豪憲くん殺害容疑で再逮捕
2006年7月14日
畠山鈴香さんは自分の娘・畠山彩香ちゃん
2006年7月14日
「長女は(米山豪憲くんに)人形を見せに行ってくると言ったきり戻ってこない」から「魚を一緒に見に行っだ際に橋から転落した。気が動転して助けを呼ばなかった」 → 7月15日には「長女を橋からつき落とした」と供述を畠山鈴香さん自ら覆した
2006年7月18日
畠山鈴香を畠山彩香ちゃん殺害容疑で再逮捕
米山豪憲くん殺害容疑で畠山鈴香を起訴
2006年8月9日
自身の供述を自身で真っ向否定するが畠山彩香ちゃん殺害容疑で追起訴
2007年9月12日
秋田地方裁判所で初公判
畠山鈴香さんは自分の精神状態が当時、正常だったかどうか自信が無いとのべながらも米山豪憲くんの殺害は認めたが、長女畠山彩香ちゃんの殺意を否認
2007年10月31日
第6回公判
畠山鈴香さんは逮捕後の拘置所内で2007年8月まで、たばこを食べたり、タオルで自分の首を絞めたり、ボディーソープを容器の3分の1ほど飲んだりと自殺を図ったことを明かした
弁護側の被告人質問に対して「極刑にしてほしい」と述べている
2008年3月19日
判決公判で無期懲役の判決でしたが弁護側は控訴し、検察側も控訴
2件の事件ともに計画性を否定
殺意の有無と被告の殺害時の責任能力の判定が争点だった
2009年3月25日
弁護・検察双方の控訴審を棄却したがら弁護側のみ上告
2009年5月19日
弁護側が上告を取り下げたことで、秋田地方裁判所が下した無期懲役判決が確定
被害者の父親(勝弘さん)がみせた執念から警察の初動捜査ミスを追求したテープレコーダー初公開
小学生1年生・米山豪憲くんの父親(勝弘さん)は、畠山彩香ちゃんの死体が発見された時点で能代警察署がより詳しく捜査を行っていれば、息子が殺される事は無かったのではないかと思い、自ら地元住民などに聞き込みや警察関係者に捜査に関する質問状を提出したそうです。
今回の番組ではその内容とテープレコーダーの内容を含めて再現VTRで放送するそうです。
米山豪憲くんの父親(勝弘さん)が県警に提出した質問状に内容とは?(一部を抜粋)