【後半戦】明石家さんまがなるみ・岡村の過ぎるTVに再出演!絶対に言わない愛した女性3人は?

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永久保存版!明石家さんまさん(秘)伝説第2弾!!「ひょうきん族」から、あのヒットドラマ、そして結婚まで…週刊誌の見出しで紐解くスター・明石家さんま(以下さんまさん)の絶頂の1980年代伝説!!が関西ローカル番組「なるみ・岡村の過ぎるTV」に2015年6月28日も出演されました。

明石家さんま1980年代秘伝説

「明石家さんまさんが絶対に言わない愛した女性3人」は前半戦ではちゃんと話は聞くことは出来ないまま終わってしまいましたが、今回はどうだったのでしょうか。番組に沿いながら

「さんまが週刊誌で噂になった女性芸能人リストを公開!」
「タモリ&たけし&さんまBIG3(秘)エピソード」
「スター芸人と大物女優の結婚生活!そして父に…」

などを含め、当たり障りなく紹介していきたいと思います。

明石家さんま1980年代秘伝説1

前回は1985年(30歳)まで話が進んでいます。気になる方は、【前半戦】明石家さんまがなるみ・岡村の過ぎるTVに再出演!絶対に言わない愛した女性3人は?をご覧下さい。

1986年(31歳) バイキンガーZ 「男女7人夏物語」大ヒット!【前編】

明石家さんま1980年代秘伝説2

男女7人夏物語とは、1986年7月25日から9月26日まで毎週金曜日21:00-21:54にTBS系で放送され、トレンディドラマの元祖もと言われている作品です。さんまさんと大竹しのぶさんを引き合わせ、結婚、IMALUさん誕生、離婚に至ったドラマとしてとても有名です。

当時は、さんまさんは芝居をする気はなく、大竹しのぶさんに引っ張られたのは事実だと明かしていました。

「男女7人」女優・大竹しのぶと出会う

一緒に食堂で大竹しのぶさんが「私、本当に食べれません」と言うシーンで「・・・食べられましぇん」と言ったそうで、さんまさんは「この女優きたないな、俺のギャグをドラマに入れてくるか」と思ったそうです。

その時は、そのまま流しながらも「あの女優、計算すごいな」と思い、結婚した時に大竹しのぶさんは「あれ、あなたのなの?」と言われたそうです。大竹しのぶさんはバラエティーは観ない人なんだそうです。

バラエティを観ないの使った理由は、周りが使っていたのを聞いて流行っている言葉なんだな思って使っただけだそうで、さんまさんとディレクターは「スゴイね!仕掛けてきたね」と思っていたそうですが、勘違いだったことが結婚してから分かったそうです。

当時、さんまさんはバラエティ、ドラマ、劇場とハードスケジュールで寝る暇もなかったそうですが、実は「男女7人」は何回も撮影を休んでいたと明かしていました。

超過密スケジュールで身体が悲鳴!?

「男女7人」を休むときは、大竹しのぶさんに直接電話して「休みますわぁ、だからあんたも今日は現場に行かんくてもよろしいで!」と言っていたそうです。そうでもしないと身体がもたなかったそうです。

当時のマネージャー(吉田さん)は、さんまさんが休む度に嘘の理由を考えていたそうです。いくら何でも休む回数が多すぎたせいで「ぎっくり腰で休みます」と言っている最中に以前に使っていたことを思い出して笑ってしまい、バレてしまったこともあったようです。

休んだ日の失敗談として、お姉さん役に加賀まりこさんが出演することを知らず、2時間遅刻して撮影現場に向かうと、ベンツが止まっていたそうです。後部座席の窓が降りて「朝は誰でも眠いのよ」とひと言だけ言われた途端に気を失いそうになったそうです。(笑)

それにしても、無理やりでも仕事に連れて行かせるマネージャーも嘘をついてまで休みを取らせようと思っていたようで、当時のさんまさんのスケジュール状況、人気は凄まじかったことがうかがえますね。

さんまさんは吉本興業をやめようとしていた?続きは次へ

1986年(31歳) バイキンガーZ 「男女7人夏物語」大ヒット!【後編】

絶頂期に吉本興業を辞めようとしていた!?

30歳ぐらいの時だそうです。吉本興業のお偉いさんに車で両サイドを挟まれ、脇腹下あたりを持たれて、グーで押されながらやりとりがあったそうです。どういう状態だったか下記の通りです。

明石家さんま1980年代秘伝説3
両サイドから責められた時のさんまさん(再現)

お偉いさん 「何が不満や?」

さんまさん 「ちゃいます。」

お偉いさん 「ギャラか?」

さんまさん 「ギャラちゃいます。]

お偉いさん 「分かった。2倍だそう」

さんまさん 「イヤイヤ、そんなんちゃいますねん!」

お偉いさん 「分かった。3倍だそう」

さんまさん 「3倍もでんのかい!」

明石家さんま1980年代秘伝説4
「3倍もでんのかい!」と言った時のさんまさん(再現)

「吉本の看板で残ってくれ」と言われた時は、満更でもなく、嬉しかったそうです。そして、話は週刊誌で取り沙汰された人の話へと進行していきます。そこで用意されたパネルが下記になり、最後の女性の名前に注目している人が多いのではないでしょうか。(笑)

明石家さんま1980年代秘伝説5

それにしても 松田聖子さん、薬師丸ひろ子さん、南野陽子さん、黒木瞳さん、工藤夕貴さん、沢口靖子さん、賀来千香子さん、香坂みゆきさん、叶和貴子さん、高田みづえさん、石原真理子さん、研ナオコさん・・・錚々(そうそう)たるメンバーですね。

研ナオコと熱愛発覚!?その真相は・・・

研ナオコさんと一緒に番組をすることが多かった時に、研ナオコさんが離婚をしました。そして、引っ越してきた場所が、さんまさんが住んでいたマンションの真上だったそうです。その理由で研ナオコさんと半同棲と取り上げられただけだそうです。

さんまさんは、その当時を振り返るととても楽しかったを明かしています。研ナオコさんが地方に仕事に行って帰ってきたときにお土産を4階から3階にロープを使ってやりとりをして、電話でお礼を言っていたそうです。(笑)

いろんな女優の名前が挙がっていますが、当時はドラマや番組の宣伝も兼ねて、テレビ局の広報がよく2人きりのよな状況をわざと作っていることが多かったと明かしていました。ここで岡村隆史さんが「絶対に言わない愛した女性3人のうち1人はいるんじゃないですか?」と質問が始まります。

岡村予想!さんまが愛した3人の極秘女性

明石家さんま1980年代秘伝説6

岡村隆史さんの予想ではこの中にいると断言しますが、さんまさんは上記の画像ですべてを物語っているのですが、さんまさんが「ちょっと待て、このスタジオ墓場ちゃうやろ!」とツッコみをいれて、笑いを誘います。(笑)※番組前半戦の時に、墓場まで3人の女性は明かさないと言っていたからです。

語られることなく話題を次に進めてしまう吉本新喜劇座長のすっちーさん。

1986年(31歳) たけしが謹慎!そのとき「ひょうきん族」は・・・

ビートたけしさんは、捕まってすぐにさんまさんに結構軽い感じで「捕まっちゃったよ」と電話をしていたそうです。ひょうきん族は、いつでもビートたけしさんが戻ってこれるように、番組に人形など置いたり、イメージが残るように作成していたそうです。

本当にいつでも、ビートたけしさんおかえり!という感じの作り方をしていたと明かしていました。なんてやさしい演者、なんてやさしいスタッフ達なんだ思い、そして、さんまさんが1人で奮闘している姿を観た甲斐義弘さん(甲斐バンド)が「Thank you」という曲を作ってくれたそうです。

イイ話過ぎますね。(笑)その時にビッグすぎる仕事のオファーが舞い込んできます。それが週刊誌にも掲載されました。その見出しは

明石家さんま1980年代秘伝説7

『FNS1億人のテレビ夢列島』の総合司会に抜擢されます。『FNS1億人のテレビ夢列島』は24時間生放送のお笑いバラエティー番組で、現在では『27時間テレビ』という名前で引き継がれています。実は、さんまさんはこの企画番組に対して1回きりという条件で引き受けたそうです。

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タモリが大激怒!?「テレビ列島」ウラ話

『FNS1億人のテレビ夢列島』でやりたいことも出来て、かなり手応えを感じていたそうです。バラエティーだけで24時間をやりきったと大満足だったそうです。スタジオでは番組が終わってからスタッフが達成感から泣き出したそうです。その後、演者も感動の余りに泣いていたそうです。

その後、やっぱり2回目をやろうと言う話になり、さんまさんにもオファーが来たそうですが、1回きりという話だったからと断ったそうです。当時のゼネラルプロデューサーだった横澤彪さんは、タモリさんには嘘をついて「さんまがやるって言うなら僕もやる」という話になってしまいます。

タモリさんは、さんまさんがドタキャンしたと思いかなり激怒したそうです。タモリさんはお酒を飲んだ勢いでさんまさんの事務所に電話をかけたそうです。その時、村上ショージさんが事務所をホテル代わりにしていたそうです。何ともタイミングが悪い話ですね。

既にお判りだと思いますが、タモリさんの電話に出たのは村上ショージさんで、タモリさんは「どうして(番組に)出ないんだよ!」に対して「じゃかましい!アホ!」と言って切ったそうです。いたずら電話と思っていたそうですね。(笑)

後日、タモリさんに「金曜日、事務所に電話いれはりました?」とさんまさんは聞いたそうです。タモリさんの性格からして「いれたよ!」という返事ではなく「かもしんないな」と言われたそうで、さんまさんは謝罪したそうです。

それから、3回目の時には、タモリさんとさんまさんで再び総合司会を務めています。それからは一生やらないと決めていたが、「オレたちひょうきん族」のディレクター、三宅恵介さんが定年退職前の記念にもう一度ひょうきん族をやりたいとさんまさん・ボートたけしさんに出演をオファーしたのがきっかけで2008年にさんまさんが総合司会をしました。

今年の総合司会・岡村が分かったこと!?

明石家さんま1980年代秘伝説8

岡村隆史さんは、2015年のFNS27時間テレビはちょうど60歳を迎えるさんまさんが、大きいことをドーンとやるものだと思っていたそうです。そう思っていた時に、お偉いさん方が来てふわっと話が舞い込んできた理由がさんまさんの話を聞いてわかってきたそうです。

さんまさんが総合司会をしなかった理由は、舞台に出ることが事前に決まっていたからだと明かしていました。FNS27時間テレビの総合司会は、さんまさんというイメージが強いようですが、今までで総合司会をした回数は、3回しかないそうです。

さんまさんが出演する舞台とは、2015年7月5日から26日、東京・渋谷のシアターコクーンで上演される舞台「七人ぐらいの兵士」に出演されます。2000年に初めて臨んだ本格的演劇作品の再挑戦のようです。舞台の役作りのために丸刈り頭にするそうです。

32歳でBIG3と呼ばれるようになったさんまさんの1987年以降は?続きは次へ

1987年(32歳) 鹿フン音頭 明石第3小隊 「男女7人秋物語」大竹しのぶと再び共演

【続きの更新は今しばらくお待ち下さい】 この時期に週刊誌の見出しになっていたのが

明石家さんま1980年代秘伝説9

のようです。さんまさん曰く、心が休まったことがなかったわ!即答していました。(笑)

スキーバッグに大竹しのぶ!?超隠密デート

家、ホテル前に週刊誌の車が5~6台は毎日いたそうです。よくタクシーの運転手にトランクにスキーバックを入れるのをかたくなに拒否して怪しがられたそうです。大竹しのぶさんの「苦しい~」と言う声が聞こえるたびに、運転手がバックミラーでちらちら見てきたそうです。

目があった時にさんまさんが「くるしい」と口パクしたり、スキーバックのファスナーを少し開けるとそこに大竹しのぶさんが呼吸をするために口を出して、「ふー」と言う度にさんまさんがまた口パクを繰り返し、当時を振り返って面白かったと語っていました。

また、スキーバッグに大竹しのぶさんが入っているので、重さは40数kgあったそうですが、スキーバッグ意外でも重さあると、ちょっと動かしたつもりでも凄くスーッと動くそうで、後ろに人がいたり、週刊誌の人がいた時にスキーバッグだけ先にエレベーターに向けて押したそうです。

それはもうスーーッと進んでいったそうで、最後はぶつかって倒れて大竹しのぶさんは「うっ」と声が出ていたそうです。部屋についてスキーバックを開けると「私、転けちゃったよね?倒れてない?」と状況が全く分からなかったそうです。

1988年(33歳) カスタネットマン 映画『いこかもどろか』

『いこかもどろか』は、1988年8月27日に公開された日本映画で「男女7人夏物語」と「男女7人秋物語」の主演コンビ、明石家さんまさん&大竹しのぶさんがスクリーンで復活したドタバタ・コメディです。

この頃の週刊誌の見出しと言えば

明石家さんま1980年代秘伝説10

1988年(33歳)9月 大竹しのぶと結婚

独身生活に終止符!大竹しのぶと結婚

週刊誌に追いかけられるのもしんどかったし、もう結婚しようかという感覚になっていたようです。ちゃんとしたプロポーズはしていないと明かしていました。本当は12月に記者会見をして結婚する予定だったそうです。

当時、ある新聞社にマネージャーが質問攻めで「結婚しませんよ」と言えばよかったのに「本人に聞いて下さいよ」と言った事がそのまま記事にされ、結婚する予定が変わってしまったそうです。

想像できない!?大物女優との結婚生活

大竹しのぶさんのことを最初から「お母さん」と呼んでいたそうです。大竹しのぶさんは1985年に長男・二千翔(にちか)さんを出産しています。ちなみに、大竹しのぶさんは、さんまさんと結婚する前にTBSのドラマディレクター・服部晴治さんと結婚されていましたが、癌性腹膜炎のため亡くなられています。

NHKのインタビューで大竹しのぶさんは、「結婚しているときのさんまは面白くなかった」と言っていたさんまさん自身が明かしていました。「ちっとも面白くなかったの」と大竹しのぶさんのモノマネをさんまさんがしていました。

岡村隆史さんが「家の中のさんまさんは結構スベッたりしはるんですか?」という質問に対して「スベれへん!笑わしにかからへんやないか」とひと言。子どもに対しては笑わそうとしても、大竹しのぶさんに対して笑わそうとする理由がないと語っていました。

大竹しのぶさんも忙しかったと思うが、「いってきます」と言って冷蔵庫の扉を開けてボケても、ツッコミがなかったそうで、「結婚生活がお笑い合宿になってしまい、お笑いをやっている人間でも耐えられない状況になる」となるみさん。さんまさんは、大竹しのぶさんには楽しく過ごさせてもらったと明かしていました。

岡村隆史さんが「結婚することでいろんなことで広がりはありました?」とさんまさんに問うと、奥さん(大竹しのぶさん)側の親戚付き合いが大変だったという話に発展していきました。離婚が遅れた理由が、親戚付き合いだったそうです。

大竹家忘年会の総合司会までも!?

大竹しのぶさんは、一男四女の三女(兄、姉二人、妹)で姉妹が忘年会・新年会にはさんまさん宅に集まっていたそうです。ちょっとサービスしようとさんまさんは手書きのフリップを作成して「大竹家重大ニュース」と題して笑いをとっていたそうです。

離婚をすることになった時に甥っ子、姪っ子が「忘年会・新年会の司会は誰がするの?」と泣かれたそうです。(笑)毎年、さんまさんが忘年会・新年会の司会をしてくれるなんてとても贅沢な会になること間違いないでしょうね。

離婚するまでに、IMALUさんの事もあったそうですが、忘年会・新年会の司会も理由で2年もかかったそうです。甥っ子、姪っ子の中学生、高校生が集まり、悩み事も相談されていたそうです。プライベートでもさんまさんは、さんまさんなんですね。(笑)

大竹しのぶ長男とは親子を超えた絆

長男・二千翔(にちか)さんとは、高校卒業旅行、大学卒業両校には一緒に行っていたそうです。たまに、二千翔(にちか)さんの友達を含めて麻雀をすることもあったそうです。周りが友達の感覚でさんまさんに話をしてきた時には、さすがに二千翔(にちか)さんは、怒っていた事を明かしていました。

二千翔(にちか)さんが、友達に「(タメ口で話をしている人は)さんまだよ?」と言っている最中に「お前も(二千翔(にちか)さん)、呼び捨てやないか!」とツッコんでいたそうです。(笑)本当の息子として接してこられているんでしょうね。

信楽焼たぬき100体で夫婦ゲンカ!?

家の庭が四つの角になっていたそうで、四季折々の花が咲くように花壇を区切るために信楽焼たぬきを100体購入したそうです。信楽焼のたぬきといっても、蕎麦屋とかにあるたぬきではなく、野球をしているたぬき、バスケットボールをしているたぬき、いろんな色のたぬきで大きさはさんまさんの画像をご覧下さい。

明石家さんま1980年代秘伝説11

推測ですが、大きさはタバコの箱ぐらいではないでしょうか。一生懸命、さんまさん自身で信楽焼たぬきを敷き詰めたそうです。翌朝になって大竹しのぶさんが「起きて起きて!気持ち悪いたぬきが100匹いるの!」と言われて起こされたそうです。

「庭を好きにしていいと言ったやないか!」とさんまさんが言うと「お願いだから片付けて!」と言われたために渋々段ボールに100体片付けて押し入れに入れたそうです。それから半年ぐらい経ってから、大竹しのぶさんが押し入れを開けたそうです。

開けた途端に、たぬき100体が落ちてきたそうで「起きて起きて!たぬきに襲われた」と起こしに来たそうです。岡村隆史さんが「どうして信楽焼たぬきを選びはったんですか?」とさんまさんに問うと「信楽焼を将来やろうと思っていた」という発言が飛び出しました。

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老後は・・・山にこもって信楽焼!?

60歳で芸能界を辞めて、山に住んで、岡村隆史さんらのフィギュアを作ろうと考えているそうです。そのために、信楽焼について調べていたそうです。釜や粘土は韓国から取り寄せなくてはならないそうで、軽井沢にある別荘の庭に釜を作ろうと当時考えていたそうです。

大竹しのぶさんに「何言っているわけ?」と大反対されたそうです。「いやいや、お前らのフィギュア作ったろうと思ってんねん!」とさんまさんは言ったそうですが「バカじゃないの?」と言われて「釜は俺がみるから!」と懇願すると「勝手にすれば!」と言われてしまったそうです。

なるみさんが、山にこもられて引き笑いされたら、変な鳥が集まってしまうとツッコミをいれると引き笑いの関する話に発展していきます。

さんまの引き笑いがネットで話題に

音楽家たちが突き詰めていくと音階では「シ」のようですが、限りなく「ラ」に聞こえるという人達もいるそうで、さんまさんの引き笑いは音階では表せない謎の音としてネットで話題になっているそうです。

引き笑いでアホウドリと会話ができる!?

さんまさんの引き笑いはアホウドリの鳴き声の周波数と同じだそうで、アホウドリの言葉が理解できれば会話ができる可能性があるそうです。(笑)アホウドリの目の前で引き笑いをしたところ3羽振り返ったそうです。(笑)

彼女はショック!モメても元気過ぎる!?

離婚やモメ事で悩んで仕事がしんどいと言うことは無かったそうです。笑っていいともの生放送の時に、喧嘩で朝の10時ぐらいまでモメたことがあったそうですが一睡もせずに出演したことがあったそうです。

彼女は、生放送の仕事があったのに、一睡もしていない状況にさせて申し訳ないと思っていたそうですが、テレビを観るといつも以上にハイテンションのさんまさんを観て、私がいなくてもこの人は大丈夫と別れることになったそうです。さんまさん曰く、寝てないことで単純にハイテンションになっていただけだと明かしていました。(笑)

この人が墓場まで持って行く愛した3人のうちの1人だそうです。

さんまさんは、得意技として別れる時にティファニーの一粒の涙(ティアドロップ)をプレゼントするそうですが、付き合っている時でも泣かせてしまった時には「もう泣かさない、もう涙は固めましたよ」という意味で贈るそうです。さんまさん・・・ズルイ人ですね(笑)

愛娘IMALUさんが生まれた当時のさんまさんは?続きは次へ

1989年(34歳) 愛娘「いまる」誕生

愛娘いまる誕生!お笑い怪獣が「父」に

子どもが物心つくまでは売れ続けたいと意識し、努力をしたと明かしたさんまさん。頑張りすぎた事として、IMALUさんがブラジャーをつけ始めたことをネタにしたことがあり、IMALUさんからデリケートな娘(女)心をわからない無神経さに怒られたなと反省してました。(笑)

岡村隆史さんが、さんまさんとご飯を食べている時にIMALUさんからメールが来るとさんまさんが「いまるや!!」と焦り過ぎたり、syばっている途中でも止まって熟読して「なるほど、なるほど」と、途中止まりの話のオチをしないままになると語っていました。

ちなみに、さんまさんは、お父さんとは呼ばさずに「ボス」と呼ばせています。それは、二千翔(にちか)さんが自分のことを『お父さん』と呼びにくいだろうと思い、子どもたちに『ボス』と呼ばせるようにしているそうです。(TBS系列『A-Studio』に大竹しのぶさんが出演した際、大竹しのぶさん本人が明らかにしています。)

娘いまるが号泣!?運動会での悲劇 

その悲劇は、夫婦で行う二人三脚の時だったそうです。近所のお父さんと「女装ですよね?」「当たり前やないか!」というやりとりの後、カツラつけて、かっぽう着を着て、レースが始まってすぐにコケて、マイクも付けてないのに「この浮気者!あの女のこと知っているのよ!」とか言って運動場が笑いでドッカーンだったそうです。

その後、お弁当休憩で、IMALUさんがいる場所に戻ると、大竹しのぶさんのお腹に隠れるようにして号泣していたそうです。さんまさんは、爆笑をとってきたぞ!と張り切ってもどってきた時の雰囲気は下の画像のような感じです。

明石家さんま1980年代秘伝説12

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そして、泣いているIMALUさんをみた時のさんまさんの顔は下の画像のような感じす。

明石家さんま1980年代秘伝説13

その後、大竹しのぶさんが声を出さずに「(ここに戻らずに)帰って!早く帰って!」と連呼されているのがわかり、空気を読んでさんまさんは、幼稚園から家まで100メートルぐらいの距離を1人で帰ったそうです。(笑)

家に帰って、お弁当休憩の時間だったのでお腹もすいていたのでチキンラーメンを食べて家から運動会を観る羽目になったそうです。さんまさんは、IMALUさんのために、面白いお父さんだねと言われてもらいたい一心だったと明かしていました。

そして番組は終了します。さんまさんが愛した3人は1人が少しだけ出てきただけで終わってしまいました。墓場まで持って行くというのは嘘ではないと分かったわけですが、もう少し話しを聞きたかったですね。

またの出演を待ちましょう!今回、ある程度の内容を記事にさせて頂きましたが、やっぱり動画で観たほうがいいと思いますので時間がある時にお楽しみ下さい。

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