2018年6月30日、日本テレビ系列『世界一受けたい授業』では、調理学校での勤務経験を持つ和食のプロから2015年に第57次南極地域観測隊の調理隊員として2017年春まで南極料理人をしていた渡貫淳子さんが出演です。

 

調理師の夫とエンジニアの息子の3人家族で暮らしながら現在、南極料理レシピを公開したり、料理教室の講師をしたり、企業の商品開発をしている渡貫淳子さんと悪魔のおにぎりレシピなど当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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史上初のママさん南極料理人になった渡貫淳子と知られざる南極生活とは

2015年12月2日に出発して成田国際空港からオーストラリアまで飛行機で飛んで南極観測船「しらせ」に乗って寄港して生鮮品などを積み込んで荒れた海で3週間揺られ、最後は自衛隊の大型ヘリコプターで2015年12月23日に昭和基地に上陸。

渡貫淳子さんが、南極に着いて最初の大仕事は日本で荷詰めした2000品目の食料と備品など冷凍庫に積み込む作業だったそうです。1年間の1人の食料は約1トンで第57次南極地域観測隊のメンバー30人なので30トンという計算です。

2000品目の食料の内訳は、9割が冷凍食材か缶詰か乾物で残りの1割の生鮮野菜で非常に貴重品でした。

昭和基地の隊員有志で結成された農協係が活躍して2016年6月時点では生野菜「たまねぎ・じゃがいも・ながいも・かろうじてにんじん・きゃべつ」を栽培している。

 

昭和基地には南極投票と内線電話が存在する

 

 

 

史上初のママさん南極料理人になった渡貫淳子のリメイクレシピ&缶詰レシピ

「余ったフライドポテト → フライドポテトグラタン」のレシピ

 

「おじやの残り → おじやライスコロッケ」のレシピ

 

「悪魔のおにぎり」のレシピ

材料

ごはん
青のり
天かす
天つゆ

<作り方>

 

絶品缶詰レシピ「いかとチーズの炊き込みご飯」

 

絶品缶詰レシピ「さんまの炊き込みご飯」

 

WIKIPEDIAより詳しい?渡貫淳子のプロフィールと経歴・学歴

 

出典:

名前
(読み方)・旧姓
 渡貫 淳子
(わたぬき じゅんこ)旧姓・小山
生年月日  1975年
出身地  青森県八戸市
血液型  
身長  
体重  
出身高校  青森県立八戸南高等学校
出身専門学校  エコール辻 東京日本料理マスターカレッジ
配偶者  渡貫 卓也
職業  元第57次日本南極地域観測隊の設営調理担当
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渡貫淳子さんの母親があまり料理が得意ではなかったこともあり、自分が食べたいものは自分で作るしかないという環境下にあったことから中学生の頃から料理を始めました。

学校帰りに立ち寄る本屋で辻静雄さんのフランス料理本から辻調理師専門学校のことを知り、渡貫淳子さんはフランス料理を食べたこともなく、美味しさの基準が分からないことから和食の道に進んでみようと思うようになりました。

高校時代、スポーツをしていた関係で大学進学の話があったそうですが、将来的に何で食べていくかと考えた時にスポーツで生計を立てる選択肢がなかった事から1993年に辻調グループ校「エコール辻 東京日本料理マスターカレッジ1年制」を卒業して、そのまま職員として勤務。

調理師学校で一緒に働いていた渡貫卓也さんと結婚し、辻調グループ校日本料理研究室教授として20年間勤務したのを機に旦那さんが「料理教室食彩わたぬき」をオープンして渡貫淳子さんも一緒に働くことに。

調理師専門学校出身の渡貫淳子さんと渡貫卓也さんは「教える」ということが得意分野から「料理教室食彩わたぬき」では、料理教室だけでなく農林水産省委託事業で香港・台湾・マカオ・タイ・ロシア・インドネシアなどで日本食文化を披露、大手企業の惣菜開発なども行っています。
※渡貫淳子さんは子育てもあったのでサポート役で旦那さんが海外に行っている間、店の料理を全て作って提供していた

第45次隊南極地域観測隊の朝日新聞記者の中山由美さんの記事を見て南極観測隊で設営調理担当の存在を知り、2009年に映画「南極料理人」を観てから南極についてもう一回勉強をし直し、一般公募になっていることを知った渡貫淳子さんは応募する為に動き始めます。

SNSで呼びかけて越冬隊に関する集いにも参加や調理師として参加されたお店に押しかけて手伝いをさせて貰うなど渡貫淳子さん自身のキャリアがどうすれば南極で活かせるかを考え続けたそうです。

息子が高校生になるまでは応募はしないと家族に伝えた渡貫淳子さんは、息子が高校生になるタイミングで第55次南極地域観測隊の調理隊員に応募して落選するも第56次南極地域観測隊の調理隊員に応募を続けました。

当初、家族は渡貫淳子さんの南極地域観測隊の調理隊員になりたいのは本気ではないと思っていたそうですが、何回も応募している姿に理解されるようになりました。
※第55次は書類選考で落ち、第56次は面接で落ちたそうです

渡貫淳子さんも「料理教室食彩わたぬき」を抜けることによって回らなくなる可能性があった為、お店の規模を変えてスタッフも増やして問題なく回るように南極に出かけるための準備を整えました。

第57次の面接に臨んだ渡貫淳子さんは、面接の当日の夜に南極観測隊員候補に決まりました。

最初の女性南極地域観測隊は第39次の坂井和代さんと東野陽子さんですが、第57次南極地域観測隊では渡貫淳子さん含めて女性5人が参加ということでこれまでで一番女性が多い隊だったようです。

当時高校3年生の息子から自分が使っていた時計をプレゼントされ、2015年12月2日に出発して2015年12月23日に南極に到着し、1年4か月を過ごす越冬隊員にこれまで設営調理担当は男性が独占していたそうですが史上初めての快挙となりました。

(2018年6月時点)