2016年8月6日、日本テレビ系『有吉反省会』では反省パトロールに「ブログ写真のポーズがいつでもどこでもeggポーズ(両手を前に伸ばして広げた状態)であること」を反省しに谷川真理さんが出演です。

 

ピン芸人の花満開さんから2014年5月24日に番組『さんまのスーパーからくりTV』で公開プロポーズをされましたが収入の格差で断り、1億2千万人総ランナーを夢に持つ谷川真理さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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エッグポーズとは?

1995年に大洋図書から発刊されていたギャル雑誌『egg』は渋谷女子高生のリアルを切り取り、ルーズソックスやコギャル、へそ出しルック、顔との遠近感を演出できると両手を前にだすエッグポーズなどのブームを生み出していました。

1990年代後半~2000年にかけては、ガングロ肌でメッシュヘアのヤマンバがブームになった時は、目の周りを白く塗ったガングロギャルが表紙を飾った事もありました。
※2014年5月31日発売の7月号で休刊となりました

 

月刊誌・ランナーズで谷川真理が語った事とは?

「もしオリンピックに出場出来ていたら、もうそこで私は燃え尽きてしまって、きっと走るのを辞めていたと思います。でも五輪落選の後、『これからも一緒に走ろうね』『走ることを辞めないで!』等と、私を励まして下さった沢山の市民ランナーやファン達の声援に、もの凄く感動しました。五輪に出られなかったからこそ、今でもマラソンランナーとして走り続ける事が出来るのだ、と思っています」

 

Wikiより詳しい?谷川真理のプロフィール1/2

出典:

名前:谷川 真理(たにがわ まり)
ラテン文字:Mari Tanigawa
生年月日:1962年10月27日
出身地:福岡県(東京都荒川区 在住)
血液型:B型
身長:160cm
体重:44Kg(時期不明)
配偶者:未婚
出身高校:武蔵野中学校・高等学校(中高一貫の学校)
種目:マラソン
座右の銘:『忍耐は苦しいけれどもその実は甘い』
所属:資生堂(1990年~1994年) → 良品計画(1994年~1999年) → アチーブRC東京(1999年~2014年)
Twitter(ツイッター):@TanigawaMari
ブログ:「谷川真理オフィシャルブログ「真理のJoyful Life」Powered by Ameba」
Facebook:https://www.facebook.com/tanigawa.achieve/

受賞歴

1992年 東京都都民文化栄誉賞受賞
1992年 朝日スポーツ大賞
2007年 第2回 ロハスデザイン大賞 ヒト部門大賞
2009年 外務大臣表彰受賞

主な戦歴

1991年 東京国際女子マラソン 優勝
1992年 名古屋国際女子マラソン 2位
1992年 ゴールドコーストマラソン 優勝
1993年 東京国際女子マラソン 2位
1994年 パリマラソン 優勝(大会新)
1994年 札幌国際ハーフマラソン 優勝
1994年 世界ハーフマラソン 2位
2007年 第1回東京マラソン 2位

自己ベスト

ハーフマラソン 1時間09分37秒 (1995年)
マラソン 2時間27分55秒 (1994年)

 

谷川真理さんが独身の理由は公開プロポーズで語っていた?経歴・年収など 続きは次へ

WIKIより詳しい?谷川真理のプロフィール2/2

子供の頃からスポーツは大好きで、ともかく身体を動かすことが得意だった谷川真理さんは武蔵野中学校の陸上部に入部しましたが、練習が厳しすぎてついて行けず途中で退部しました。

中学で陸上部を途中で辞めたことに多少の杭が残ったため、武蔵野高等学校でも陸上部に入部しなおして、800mの中距離選手として3年間活動して南関東大会に2回ほど出場しましたがたいした記録も出せなかったそうです。
※同学年で谷川真理さんと同じく南関東大会に出場していた選手にソウル五輪女子マラソン代表だった宮原美佐子さんがいました

高校卒業時に陸上部の顧問から「マラソンをやってみたら」と言われたそうですが、強制されるのはもう十分という気持ちで、高校卒業後は英語の一橋スクールオブビジネス専門学校に進学して、夜はディスコ、週末はサーフィンやスケートボード、スキーなど、身体を動かす遊びに没頭しました。

実弟から「お姉さんにこれいいんじゃない?」と競艇学校のパンフレットを持ってきたこともあったそうですが、専門学校を卒業してから都内の一般企業でOLとして働きながら身体を動かす遊びは相変わらず続けていました。

入社して3年目の春、仕事にも慣れて日常の生活になにか物足りなさを感じ始めた時に、同僚に誘われ皇居にお花見に出かけて、気持ち良さそうに走るランナーたちの姿を目にして感動を覚えたのが再び走るきっかけになりました。

都内で信号待ちなしに5km走れる皇居を1周のコースを走り始めて3ヶ月ぐらい経過した時に、ランナー仲間が「都民マラソン」の優勝商品がオーストラリア・シドニーのシティーマラソンにご招待と聞いてから俄然やる気になってランナー仲間のアドバイスや会社の同僚、後輩たちの支援もあり優勝しました。

都民マラソン以後も、賞品や海外ご招待目当てでしたが、賞品よりも記録に対する欲が強くなり、更に上を目指すにはトレーニング時間も必要という理由から走るために1990年、株式会社資生堂に転職して、資生堂ランニングクラブに所属しました。

1991年11月、東京国際女子マラソンでは、レース終盤に逆転して、2時間31分台でマラソン初優勝を飾りました。8年ぶりに日本女子選手の覇者になったということで大きな話題になりました。バルセロナ五輪代表に選ばれることはありませんでした。
※後に1992年8月開催のバルセロナオリンピック(ロシア・当時ソ連)女子マラソン・金メダリストとなるワレンティナ・エゴロワ選手も出場していました

1992年7月、ゴールドコーストマラソンで途中トイレに駆け込んでロスタイム発生しながらも優勝。1994年に資生堂から良品計画に移籍しました。

1994年のパリマラソンでは、自己ベスト記録2時間27分55秒(当時日本女子歴代9位)をマークして優勝を果たしました。

アトランタ五輪も目指していたのですが、1995年の東京国際女子マラソンでは膝の痛みが治まらず欠場。

翌年の1996年1月の大阪国際女子マラソンもケガの回復が遅れてエントリーを回避、五輪国内最終選考会である3月の名古屋国際女子マラソンでラストチャンスに賭けましたが、万全の体調で臨む事は出来ず、念願のオリンピック女子マラソン日本代表選出は一度も叶いませんでした。

現在はアミノバイタル(味の素)ACに所属してからは、マラソンの実況解説やスポーツコメンテーターなどの活動の他にハーフマラソンのイベント「谷川真理ハーフマラソン(現・ハイテクハーフマラソン)」や「谷川真理駅伝(2015年より現・ハイテクタウン駅伝)」の主宰を務めています。

2015年には谷川真理さん自身が代表をつとめる株式会社MariCompanyを設立しています。

(2015年時点)