2016年7月14日、フジテレビ系列『アウト×デラックス』では過去2回出演して「彼氏いない歴15年以上」、「男性と縁がなさすぎて恋愛対象が女性なのかな?」と悩み始めてしまったと赤裸々に告白したことが大反響で村主章枝さんが3度目の出演です。

今回は「各界の天才が禁断の初告白SP」と題して恋もスケートもこじらせている村主章枝さんが元女子プロレスラーの長与千種さん推薦のイケメンの酒匂寿輝さん、おなべ・真弓瞬さん、レズビアンでDJのJURIさんと女性を含む魅力的な3人とお見合いが行われた内容について当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?村主章枝のプロフィール ※経歴は、一部省略して記述しています

出典:

名前:村主 章枝(すぐり ふみえ)
生年月日:1980年12月31日
出身地:千葉県千葉市(横浜市鶴見区育ち)
身長:157cm
体重:44kg(2005年12月時点)
出身高校:清泉女学院中学校・高等学校
最終学歴:早稲田大学教育学部
家族構成:元日本航空国際線パイロット(父親)、元客室乗務員(母親)、元プロスケーターの村主千香(妹)
職業:元フィギュアスケート選手(女子シングル) → 振付師
引退:2014年11月13日

スケーティングは軽やかでスピード感にあふれ、アップライトスピンは世界一の回転速度と称えられ。表情の豊かさから「氷上の女優(アクトレス)」と称えられていました。

3歳から5歳までアメリカのアラスカ州アンカレッジで過ごしてスケートをはじめとするウィンタースポーツに親しんだことが競技生活の原点となり、6歳でスケートを始めて小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場した結果は、19位でした。

中学1年生(1994年)の時、イタリアで開催されるフィギュアスケートの国際競技会「ガルデナスプリング杯」で国際大会デビューを果たし、結果は7位でした。

1995-1996シーズン

中学3年生の時、4回目の全日本ジュニア選手権に出場したところ2位となり、初の表彰台に上がりました。世界ジュニア選手権でも初出場ながら4位に入賞しました。

1996-1997 シーズン

1996年11月3日(高校1年生の時)、2度目の全日本選手権(第65回全日本フィギュアスケート選手権)に出場して全日本女王に輝きましたが世界選手権(1997年世界フィギュアスケート選手権(ローザンヌ))に村主章枝さん自身初出場の結果は、ショートプログラム(SP)のジャンプミスが響いて総合18位に終わりました。
※当時、長野オリンピックの日本女子シングル代表枠は1名のみでした

1997-1998シーズン

ISU(国際スケート連盟)グランプリシリーズのNHK杯では日本女子最高の5位でしたが、全日本選手権(第66回全日本フィギュアスケート選手権)で首位発進だったのですが、フリースケーティングでの転倒が響いて荒川静香さんに敗れて総合2位となり、長野オリンピックと世界選手権(1998年世界フィギュアスケート選手権)の代表選出を逃してしまいました。
※全日本選手権(第66回全日本フィギュアスケート選手権)の直前には左座骨を打撲していたそうです

1998-1999シーズン

ISU(国際スケート連盟)グランプリシリーズのNHK杯で村主章枝さん自身初の表彰台となる3位に入り、1998/1999 ISUグランプリファイナルに初進出して総合5位という結果を残しました。

第67回全日本フィギュアスケート選手権(第67回全日本フィギュアスケート選手権)では再び荒川静香さんに敗れて2年連続の2位でしたが、アジア冬季競技大会フィギュアスケート競技では3位入賞。

カナダのハリファックスで開催された1999年四大陸フィギュアスケート選手権では日本女子最高の5位に入りました。2年ぶりの世界選手権(1999年世界フィギュアスケート選手権)代表に選出されましたが、結果はジャンプが決まらず総合20位と惨敗に終わりました。
自己推薦入学で1999年4月、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に進学し、1960年スコーバレー五輪、1964年インスブルック五輪の男子シングル日本代表だった佐藤信夫さんに師事しました。

2001-2002シーズン

ソルトレイクシティオリンピックの日本女子シングル代表枠が2名のうち1つは、日本人選手で唯一2001/2002 ISUグランプリファイナルに進出した恩田美栄さんに内定し、残り1枠をかけて荒川静香さんと争う形となり、全日本選手権(第70回全日本フィギュアスケート選手権)で優勝したことで念願のオリンピック初出場が決定しました。

ソルトレイクシティオリンピックでは5位入賞でした。

2003-2004シーズン

トリノオリンピックの日本女子シングル代表枠を最大の3名獲得に貢献しました。
2005-2006シーズン

2004年4月にマンションの分譲をはじめとする不動産事業をおこなう日本の不動産会社ダイナシティとスポンサード契約をしていましたが、シーズン開幕前の2005年6月、ダイナシティが不祥事を起こした為、同年6月30日に契約を解除し、同年10月にエイベックス・エンタテインメントへ移りました。

9月に以前から痛めていた右股関節の故障が悪化して、トリノオリンピック代表入りは絶望的と思われましたが、NHK杯国際フィギュアスケート競技大会ではフリー1位、総合2位と復活の兆しを見せ、五輪最終選考会の全日本選手権(第74回全日本フィギュアスケート選手権)では、ミスのない演技でフリー1位となり、3年ぶり5度目の優勝。選考ポイント最下位から大逆転で2006年イタリア・トリノで開催のトリノオリンピック出場が決定しました。

トリノオリンピック日本選手団では副将に任命され、ショートプログラム(SP)でほぼ完璧な内容で4位でしたが、フリースケーティングではフリップジャンプからのコンボが2回転となる以外はノーミスの演技を披露しましたが、総合で4位入賞となり念願のメダルは獲得できませんでした。

トリノオリンピック後、「トリノで五輪の魔法にかけられた。この氷の魔法はバンクーバーでしか解けない」と現役続行を決意しましたが、成績の低迷によりバンクーバーオリンピック、世界選手権、四大陸選手権のいずれの代表にも選出されませんでした。

2010年3月11日、東京都内で会見し、活動継続へのスポンサー獲得が条件で現役続行の意向を明らかにしたが、今月中に見つからなければ、現役続行は無理だと思うと引退に含みも持たせました。
※年間の活動費として約2000万円が必要といわれていました

2010年4月、9年間マネジメント契約してきたエーケー・グローバル・エージェントからサニーサイドアップにスポーツマーケティング事業部の社員として入社し、医療用医薬品の製造販売を行う陽進堂に所属が決定し、ソチオリンピック出場を目標に大会に出場しました。

結果を出せないまま2012年3月で陽進堂とのスポンサー契約は終了し、所属をサニーサイドアップに移りました。2年連続で全日本選手権(第81回全日本フィギュアスケート選手権)の出場権を得られませんでした。

2013年6月にサニーサイドアップを退社してフェニックスに入社、7月に所属先をイタリアのスポーツ用品専門のブランド「Kappa」に決定。3年連続で全日本選手権(第82回全日本フィギュアスケート選手権)の出場権を得られず、目標のソチオリンピックの出場権を逃しました。

2014年11月13日、フィギュアスケート女子シングル現役最年長選手だった村主章枝さんは、公益財団法人日本スケート連盟に引退届を提出し受理されました。同日、東京・岸記念体育会館にて現役引退会見を行い、2006年のトリノオリンピックから我慢していた、大好きなプリンが届けられ「おいしい~!この日のために頑張ってきた」と笑顔を弾けさせながら念願のプリンを食べました。

出典:http://www.oricon.co.jp/

2014年11月28日に放送されたフジテレビ系列『アウト×デラックス』に出演して「あんまりジェンダーにはこだわってなくて…。なんでみんな男女にこだわるのかな」 と同性愛に対して興味を見せる発言が話題になりました。

2016年4月25日発売された「週刊ポスト2016年5/6・13号」に大胆グラビア撮影に初挑戦した「フィギュア女王村主章枝 決意の全裸ヌード」が袋とじで公開され、ネット上では写真集の発売に期待の声が上がっているそうです。

2016年6月2日に放送されたフジテレビ系列『アウト×デラックス』2回目の出演では、セミヌードを披露した経緯や独自の恋愛感や小林尊(フードファイター)さんに頼んでゲイバーとレズバーに連れてって貰ったこと、ボーイッシュな女性が好みであることを明かしました。

(2016年6月時点)

 

番組終了後に更新していきます。