2016年10月6日、テレビ東京系列『日経スペシャル カンブリア宮殿 ~村上龍の経済トークライブ~』では「シリーズ伝統は革新だ!第3弾 老舗高級果物店のフルーツ革命」と題して創業は江戸時代、あの西郷隆盛もご贔屓にしていた老舗 株式会社千疋屋総本店 代表取締役社長・大島博さんが出演です。

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フルーツ界の最高峰といわれている千疋屋総本店を象徴する1個1万円超のマスクメロンを手頃に味わえる方法や果実ゴロゴロの杏仁豆腐など敷居を下げる改革に乗り出している株式会社千疋屋総本店と代表取締役社長・大島博さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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株式会社千疋屋総本店(Sembikiya-Sohonten,Ltd.)の歴史

1834年(天保5年)に武蔵国埼玉郡千疋の郷(現:埼玉県越谷市千疋)の侍で大島流槍術の指南をしていた大島弁蔵が道場の庭で育てた果物や野菜を船で運んで葺屋町(現:日本橋人形町3丁目)のおやじ橋の袂(たもと)で出身地の名をとって「千疋屋弁蔵」と名乗り「水ぐわし(甘い果物)安うり処」の看板を掲げて果物(柿・びわ・ぶどう・みかん など)・野菜類を商う店を構えたのが始まりだそうです。
※千疋屋は、果物の輸入・販売を専門とする小売業者の屋号

浅草の鰹節の大店「大清」の娘・むらを娶(めと)り、妻・むらの支えから幕末の著名人のご愛顧を受けるようになり、やがて徳川家御用商人になったことで高級品を取り扱うことで繁盛して信頼も得てられるようになりました。

1877年(明治10年)に3代目を継いだ大島代次郎※1は、現在の本店がある日本橋本町(日本橋室町)に店舗を移転し、外国産の果物のみならず種子の輸入に力を入れたり、国産果物の品質改良に心血を注いで日本初の果物専門店を創立して千疋屋総本店の基礎となっています。
※りんご、さくらんぼ、夏みかん、マスクメロンなどの栽培を行ったそうです
※1 3代目以降は襲名になります

1881年(明治14年)、中橋店(現:(株)京橋千疋屋)をのれん分け。1887年(明治20年)1月にフルーツパーラーの前身となる果物食堂を創業しました。1894年(明治27年)に銀座店(現:(株)銀座千疋屋)をのれん分けを行い販路を拡大しました。

1925年(大正14年)に4代目代次郎(旧名文一郎)は3代目のが温めていた構想でもあった日本初のフルーツパーラーを銀座松屋に出店や浅草・丸ノ内などにも大規模な直営店の開店を実現させました。

また「千疋屋農場(現:世田谷区上馬)」を造って多種多様な果物を栽培し更なる品種改良を目指しつつ、1938年(昭和13年)には株式会社へ改組したことで4代目代次郎は社長に就任。

昭和35年(1960年)に大島博さんの父親・大島栄一さんが5代目大島代次郎を襲名してから関東各地に支店網の拡充に注力し、幅広く食材を扱う総合食品業態へと移行させていきました。

1998年(平成10年)に大島博さんが6代目に襲名して社長になり、5代目の父親は取締役会長になりました。

(2016年10月時点)

 

【簡易版】Wikiより詳しい?大島博のプロフィール

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出典:http://www.kokorogroup-miki.com/

名前:大島 博(おおしま ひろし)
生年月日:1957年3月13日
出身地:東京都中央区日本橋
血液型:―型
最終学歴:慶應義塾大学法学部政治学科 → コロンビア大学
座右の銘:則天去私(そくてんきょし:小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと)

「経営者は時代を読み時代の意見を聞かなければならない」という考えから国内外の流通業の視察旅行に出かけることが多いそうです。

経歴

1981年4月 アメリカのコロンビア大学へ留学

1983年3月 ロンドンへ渡英しアメリカ・ニューヨークとイギリスで専門店経営(老舗学)を学んだ

1984年4月 イギリスから帰国後、株式会社ドップス・インターナショナル(輸出入代行業)入社

1985年11月 株式会社ドップス・インターナショナルを退社
1985年12月 株式会社千疋屋総本店入社

1998年 2月 代表取締役社長就任

歴任一覧

株式会社デーメテール千疋屋代表取締役社長
株式会社千商代表取締役社長
国土審議会専門委員
社団法人東京青年会議所理事長
社団法人日本青年会議所副会頭
東京商工会議所中央支部小売分科会副分科会長
NPO法人東京中央ネット副理事長…etc

 

ブランド・リヴァイタル・プロジェクトを始動

41歳で6代目に襲名して社長になり、3年間は父親のやり方で勧めていたが、老舗としての強みがある一方で、時代(現代)とのズレがあるように感じて、千疋屋総本店のブランドを再構築するために「ブランド・リヴァイタル・プロジェクト」を立ち上げました。

世間の持つ千疋屋のイメージを調査して明らかになった結果は

「高級フルーツの老舗として有名だが、そのぶん敷居は高く、信頼感はあるが古めかしい印象もある」

といったものから若い顧客層の取り込みが不足していることが露呈されました。

  • ロゴ・マーク、包装紙や容器のデザインを一新
  • 2005年に開店した日本橋三井タワーに新装オープンした新本店ビルの内装などをすべてコンセプトを作り直し
  • 若い人が買い求めやすい価格帯の洋菓子や果物を使った加工品などの品ぞろえの強化
  • フルーツの低温輸送が可能になったことからインターネットによる通信販売など地方への販路の開拓
  • 通販だけではなかなか地方での知名度は上がらないため、全国各地の百貨店などの催事を活用して積極的に出店
  • 全国的に知名度が向上した千疋屋の商品を上京した際の土産物として購入してもらうために東京駅や羽田空港などにショップを出店(東京みやげのブランドに育てる戦略)
  • のれん分けした京橋千疋屋、銀座千疋屋と資本関係はないが、3社の協調関係を深めるため2008年にグループ交流会を開催して青果部門など各部門で交流
  • 互いの新製品を試食して品質向上や社内システムについての情報交換をして共存共栄をはかりながら、千疋屋ブランドを維持・向上をさせる

といった時代に合わせてブラッシュアップを行い、「高級路線」から「一つ上の豊かさ」を与えていく取り組みを実施しています。