その後、病院に戻って検査をせずに2週間が過ぎて20時頃に1回目の確定診断で「ALSの可能性が極めて高い」と担当医に告げられただけで病状については語られることはありませんでした。

酒井ひとみさんの可能性があるものにはチャレンジしたい気持ちを理解していた夫は、担当医に免疫異常の病気の可能性があるなら免疫抑制剤を提案したがあまり期待しない方がいいと言われたそうです。

確定診断の結果から歯科医院の仕事は夫から事情を説明してもらってすぐに辞め、酒井ひとみさんの心の奥底では、呼吸器をつけてまで生きることが家族にとって本当の幸せなのかと迷いながらも夫の叔母から紹介してもらった大学病院の教授に診察しに行きました。

紹介してもらった理由はALSと診断されてから再検査で違う病気だった人がいたと言う可能性を信じたい為に大学病院に検査入院したところALSとは断定できないとう診断結果でした。

検査入院から自宅に戻って家族で川の字になって寝た時に3歳の頃から長女は花粉症で鼻血を出ると「ママ~」と泣いていたのが「パパ~」という鳴き声に変わっていたことに夫に嫉妬してしまったそうでが、子どもにとっての1番のママでありたいと強く思ったそうです。

それから、母親として時間を過ごそうと茨城の自宅に戻って長女の同級生のママ友や隣人などとも仲を深めていくことで心に変化が生まれて生への執着を取り戻していきました。

はっきりと出たわけではない1回目の確定診断からALSの病名が頭から離れられなかった酒井ひとみさんは、少しでも落ち着かせるために症状から当てはまりそうな病名を探しては担当医に相談し、2回目の長い入院が始まりました。

入院した時に同室で病気だからと自分に限界を決めずに好きなように好きなことに生きるパワーに満ち溢れていた女性と出会い、酒井ひとみさんはその女性みたいに自由になれるのだと気付いてハワイ旅行に行くことを決めました。

ハワイ旅行から帰った酒井ひとみさんの容態は心臓が締め付けられるような痛さと呼吸が苦しくなることが増えて両親に頼み込んで病院に連れて行ってもうようになり、1人でいる時は薬を服用するようになっていました。

そして、指先と顔、首だけしか動かない体になっていた酒井ひとみさんに確定診断の時が訪れ、診断結果は酒井ひとみさんの部屋で担当医以外にも医師・研修医が集まった目の前で

「呼吸筋が機能していないから、酒井さんはALSだね」

宣告され、たくさんの目の前で涙を流し続け、たくさんの人に囲まれている中で突き放されてひとりぼっちでいるような感情に埋め尽くされそうになった時に医師から

「酒井さんには小さなお子さんが二人もいらっしゃる。そのお子さんの成長を見届ける義務がある!」
https://koyamachuya.com/から引用

という言葉を聞いて我に返った酒井ひとみさんは、当時について静かな個室で確定診断を受けていたら事実を受け止めきれずに押しつぶされていたかもしれないと語っています。

そして、酒井ひとみさんは看護師から今後について質問されて

  • まだ生きたい
  • 夫には、私と別れて好きに生きてほしい

と何度も唱えていた本音を初めて外に向けて発した相手が看護師でしたが涙がこぼれ落ちたそうです。

確定診断が告知された翌日、夫になんとか「別れよう」と伝えると夫は首を縦に振ることはせず、肺は正常の人の30%しか動いていないが「まだ生きたい」という気持ちから呼吸器を付ける事を相談すると夫は意見を言わず

「お前がつけて生きていくなら、俺はできる限りのサポートをしていくよ」
https://koyamachuya.com/から引用

とだけ繰り返し言い続けたそうです。

夫に別れ話を切り出した時と呼吸器のことで意見を言わなかった事について聞いてどう思ったのか聞いたそうですが

「全く別れる気がなかった。自分が病気のひとみを捨てて、別れる奴だと思われてるのかと思って、腹が立ったよ。」

「生きてくれっていうのは、簡単だ。でも、ALSで生き続けるのは、生き地獄だ。それを他人が決めるのは無責任で、ひとみ本人に決めてもらいたかった」
https://koyamachuya.com/から引用