2015年12月19日、日本テレビ系列『有吉反省会』では、自身が企画・演出・MCを担当し、台本も厳しい規制もないという番組のせいか本番中に掛かってきた電話に出たり、プロ野球巨人戦を20分も観戦したりとやりたい放題のネット番組「横浜城」がひどすぎて、還暦を過ぎても関係者に怒られていることを反省しに横浜銀蝿のリーダー・嵐ヨシユキさんが出演されました。

嵐(らん)ヨシユキ

出典:http://natalie.mu/

嵐ヨシユキさん自身が着ている赤い革ジャンを3年後に還暦を迎える横浜銀蝿の翔さん(実弟)譲り渡すのだと話し、有吉弘行さんが「翔さんはもう刑務所から出ていらっしゃるんですか?」とタブーに踏み込んだ質問を投げかけられた横浜銀蝿のリーダー・嵐ヨシユキさんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

スポンサードリンク

Wikiより詳しい?横浜銀蝿のリーダー・嵐(らん)ヨシユキのプロフィール

嵐(らん)ヨシユキ1

出典:http://gensun.org/

本名:田宮 淑行(たみや よしゆき)
生年月日:1955年4月15日
出身地:神奈川県横浜市戸塚区
身長:170cm
体重:75kg
血液型:AB型
出身高校:湘南工科大学附属高等学校
最終学歴:関東学院大学※1
趣味:ペット(フェレット暦9年)・B級グルメ(ブログ暦7年)
兄弟:弟【横浜銀蠅の翔(本名:田宮 将吉)】
職業:ドラマー、音楽プロデューサー
担当楽器:ドラムス
活動期間:1980年 –
事務所:ユタカプロダクション → 嵐レコード
Facebook:https://www.facebook.com/ran415
mixi(ミクシー):http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=671
Twitter(ツイッター):@yg_ran
ホームページ:黒船テレビ

※1 8年通って除籍

【代表作】

愛する人へ
横須賀Baby
ツッパリHigh School Rock’n Roll
ぶっちぎり総集編 (アルバム)

嵐ヨシユキさんと翔さんはごく普通の家庭で育ち、不良になり始めたのは高校入学直後だそうです。「高校の時にちょうど、暴走族が一大ブームになって、暴走族やってないと
友達ができなかったのよ。高校の時って、学校中が暴走族だったから」と当時を振り返られています。

嵐ヨシユキさんは当時、喧嘩が強く、仲間を大切にする、男気あふれる人だったそうです。翔さんが「どうしても音楽をやりたい」と言い出したところに嵐ヨシユキさんはが一肌脱いだのがキッカケでした。

リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)という独特の服装をギミックとして1979年9月21日、翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンド「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」を結成し、リーダー兼ドラムスとして活動を始めました。
※「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」を「TCR横浜銀蝿RS」とも表記されています

キャンディーズのランこと伊藤蘭さんのファンだったことから、これをもじって「嵐」と名乗っています。

1980年9月21日 – アルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』の同時発売でデビュー。本名のタミヤヨシユキの名義で何曲か作詞・作曲・編曲しており、中でも1981年1月12日に発売された2枚目のシングル『ツッパリHigh School Rock’n Roll』がヒットしました。

ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校編)☆TCR横浜銀蝿RS

 

「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り1980年代前半に一気に若者の人気を博しました。

1982年11月15日、横浜銀蝿リーダー自ら、嵐レコード株式会社を設立。

1983年12月31日、解散。

解散後はプロデューサーとして、嶋大輔さんや岩井小百合さんなどをプロディース。手掛けた作品のうち、大事MANブラザーズバンド『それが大事』は大ヒットしました。

1998年1月1日、「横浜銀蝿」として翔、TAKU、嵐の3人で再結成しましたが、2002年7月23日に「横浜銀蝿」解散。同日に「湘南銀蝿」結成し、9月22日に解散するまで翔、TAKU、嵐の3人もそれぞれ「シャーク」、「サンセット」、「ヤシの実」と名乗り夏季限定の音楽活動を行いました。

解散後の翌日から「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」の名称で活動再開。

2001年の第19回参議院議員通常選挙に自由連合公認で比例代表区から立候補したが、メンバー並びに業界関係者の応援も空しく落選してしまいました。組織委員会文化局次長を務めていたそうです。

小脳梗塞(脳梗塞の一種)の発作に襲われたのは、2004年4月23日。翌24日に2回目の発作に襲われ、1日置いて詰まったところの血管がさらに破れて梗塞後出血を引き起こしたそうです。26日の早朝から梗塞後出血を起こし、ろれつが回らなくなり、頭痛や嘔吐などの新たな症状が出現し呼吸停止に陥ったそうです。

緊急手術が始まったのは午後3時で、小脳の半分を切除する6時間に及ぶ大手術を行いました。1日100本吸っていたタバコをすっぱりとやめ、食事も減塩醤油、減塩味噌などを用いたものにするなど健康に気をつけた生活をしているそうです。

1年後の2005年4月24日。『第9回嵐ちゃん祭り―嵐さん復活不死身ライブ』で手術後初めてファンの前に姿を見せました。

2006年6月9日の『横浜銀蝿結成25周年記念コンサート』では、1曲限定でドラムにも挑戦しました。「次に会うときはもっと頑張るんで、よろしく!」と呼びかけていたそうです。
2009年10月14日に黒船テレビを開局、「横浜城」、「食わずに死ねるか」を放送しています。

横浜城 #292(15/9/2)

 

2013年、自身のリハビリバンド『THE CALVER』を結成し、ボーカルを務めている。

(2013年時点)

 

嵐ヨシユキさんは、実弟・翔さんに裏切られながらも見捨てなかった?借金、離婚、再婚。壮絶な人生を送っていた?続きは次にページへ