2016年10月28日、TBS系列『爆報! THE フライデー』では「あの美女は今…大追跡SP」をテーマに32年間にわたって断続的に制作・放送されたTBS系『3年B組金八先生』の生みの親で脚本家・小山内美江子さんが直撃取材されます。

 

1992年~1993年に学生達と共に実施したカンボジア・タイ国境キャンプから帰国するカンボジア帰還難民の救援活動をきっかけに学校建設と教育者の育成の必要性を強く実感たことで特定非営利活動法人「JHP・学校をつくる会」の代表をしている小山内美江子さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

スポンサードリンク

Wikiより詳しい?小山内美江子のプロフィール

出典:

本名:笹平 美江子(ささひら みえこ)
生年月日:1930年1月8日
出身地:神奈川県横浜市鶴見区
血液型:―型
出身高校:鶴見高等女学校(現・鶴見大学附属高等学校、学校法人総持学園)

代表的な作品

『特別機動捜査隊』
『ウルトラQ』
『キイハンター』
『マー姉ちゃん』
『3年B組金八先生』
『徳川家康』
『父母の誤算』
『親と子の誤算』
『翔ぶが如く』

1951年、元々は映画監督を志望していたが当時は女性では監督は無理と言われていた為に撮影現場で監督の隣にいられる職を選んだ結果、映画のスクリプター(記録係)になりました。

1962年2月10日NHK『残りの幸福』でシナリオライターとしてデビューを果たしたことで脚本家・作家として多忙な日々を送ることになります。
※結婚を経て、妊娠をきっかけに脚本家に転じたそうです。1962年7月31日に長男の剛(ごう)くんを出産を区切りに離婚しています

1966年、特撮の第一人者ともいわれる円谷英二さんが設立した円谷特技プロダクション(現・株式会社円谷プロダクション)の初作品『ウルトラQ』の企画段階から参加して怪獣や空想設定のキャラクターが一切登場しない話を執筆してたが、怪獣路線へと転向した為に担当を外れることになりました。

1979年から、教育や子育てへの思いを込めたテレビドラマ『3年B組金八先生』や誤算シリーズ(『親と子の誤算』、『父母の誤算』)で教育界でも一目置かれるようになっていきました。

1990年、28作目の大河ドラマ『翔ぶが如く』のシナリオを書き終えた時にイラクのクウェート侵攻が引き金に始まった(後の)湾岸戦争からヨルダン難民救援に向かうボランティアの若者たちの記事をみて「これなら、私にもできるかもしれない」と考え始めたそうです。

日本国憲法第9条では武装した自衛隊の海外派兵など不可能ですが、民間人は自由だった事と「日本はお金だけ出して顔が見えない」とバッシングがあったことから団体「アガペハウス」を尋ねて7人の仲間とヨルダンに向かい苦しむ子どもたちの救援に奔走したそうです。
※最初はヨルダン難民救援で昼食の「ナン」を配るところから始めたそうです

1991年にヨルダンから戻って間もなく湾岸戦争が始まり、たくさんのクルド人が難民となったことで救援のために初めて大学生と向かい、1992年からはカンボジア・タイ国境にてカンボジア帰還難民の救援活動を始めて子どもたちの教育が成り立たない状況を目の当たりにして学校建設と教育者の育成の必要性を強く実感したそうです。
※カンボジアはポルポト時代の教育の破壊と知識・文化人の大量粛清(教師の8割が虐殺されたといわれています)がされていました

1993年5月に施行された総選挙によってカンボジアは王国として再出発してから任意団体として「JHP・学校をつくる会」を発足。
※1997年4月から「JHP・学校をつくる会」(JAPAN TEAM OF YOUNG HUMAN POWER)を正式名称とて会費会員制の組織に移行

小山内氏は2004年に乳がんが発覚。前シリーズ放送中の05年1月に降板した際は「病気のために、後は別の人に託しました」というメッセージを発表したが、今年の「週刊文春」3月1日号で衝撃告白

 

金八先生は応援歌だった?

『3年B組金八先生』のシナリオを書いていた当時、中学生だった長男の剛くんがの友人たちがたくさん訪れて、小山内美江子さんに「おばさんって口が固いよね」と、さまざまな打ち明け話や相談をされたたそうです
※打ち明け話や相談が金八先生の登場人物のモデルにもなっているそうです

小山内美江子さんは

「彼らが学校で勉強するのは高校受験のため、友だちはライバルなんておかしいですよね。なりたいものになるために勉強するはず」
http://www.voluntar.com/から引用

という応援歌として『3年B組金八先生』を書いたことを明かしています。

 

番組終了後に更新していきます