2015年9月26日、日本テレビ系列『有吉反省会』では2時間スペシャル超豪華アーティスト集結するも一切歌わない有吉音楽祭と題して、なんでもかんでも「バ」を「ヴァ」と言ってしまうことを反省するはずが、その違いを熱く語り、大友ワールドが全開してしまった大友康平さんが出演されました。

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大友康平さんと言えば代表曲「ff(フォルティシモ)」「ONLY LOVE」、「BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜」などがあります。事務所独立と他メンバー切り捨てが訴訟に発展するなど混乱状況が続いている最中ですが、大友康平さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?大友康平のプロフィール

大友康平

出典:大友康平 – iehok

本名:大友 康平(おおとも こうへい)
生年月日:1956年1月1日
出身地:宮城県塩釜市
血液型:A型
身長:170cm
好きなスポーツ:野球 柔道
最終学歴:東北学院大学経済学部
ジャンル:J-ROCK
職業:歌手、タレント
配偶者:木下桂子(元モデル兼スタイリスト)
活動期間:1980年 –
事務所:フライングハウス(1980年 – 1983年)、マザーエンタープライズ(1983年 – 2004年)、iehok(2005年 – )

康平の「康」は徳川家康から、「平」は在原業平からとられているそうです。幼少時代から、街のカラオケ大会等で熱唱し、その片鱗を見せていたそうです。

宮城県でも三本の指に入るほど材木店「大友材木所」が実家でしたが、大友康平さんが1歳の時に倒産。両親は、大友康平さんを連れて母方の実家・青森県弘前市に移りましたが、長居することはできず千葉県松戸市に引越しました。

父親は、一旦サラリーマンになりますが、祖父の知り合いが埼玉県入間郡越生町に材木工場を開いてくれたことにより、サラリーマンを辞め再び材木商となり、大友康平さん4歳の時、越生町に一家で引越しました。一浪して19歳で東北学院大学に入学するまで同地で過ごしたそうです。

本格的に音楽を始めたのはグループサウンズ・ザ・タイガースが好きだった父親の影響から始まり、一番衝撃を受けたのはキャロルで、埼玉県立川越工業高等学校建築科に入って仲間を集めキャロルを真似たバンド結成したり、武者小路実篤等を愛読する読書家でもありました。
※その時の経験が後の活動の礎になっているそうです
1976年、東北学院大学在学中に初代ギターの高橋良秀さんが大友康平さんに「一緒にやろう」と声を掛けた事がきっかけで学校の仲間と「HOUND DOG」を結成。
※バンド名は、大友が敬愛するエルヴィス・プレスリーのヒット曲から採用

1979年(昭和54年)、第1回CBSソニーSDオーディションに合格。(同期合格者は堀江淳さん、五十嵐浩晃さん、村下孝蔵さん)ロックジャムで準グランプリ、最優秀ボーカリスト賞を受賞してソニーレコードと契約しました。

1980年にアルバム『Welcome To The Rock’n Roll Show』、シングル『嵐の金曜日』でメジャーデビュー。(メンバーは、大友康平さん、高橋良秀さん、八島順一さん、蓑輪単志さん、海藤節生さん、藤村一清さん)

1981年(昭和56年)、大友康平さんがプロデュースし、スポンサーもないままロックンロールオリンピックを開催。
※第14回となる1994年(平成6年)をもって終了。1983年(昭和58年)に音楽事務所FLYING HOUSEから東京都のマザーエンタープライズに移籍したため、第3回以降出演していません

軽快なロックンロールと重厚なバラードを武器にライブでは絶大な評価を得られるようになり、1985年に発売したシングル『ff(フォルテシモ)』、アルバム『SPIRITS!』が大ヒットしました。

1980年代後半、光GENJIや男闘呼組などジャニーズ事務所所属のタレント歌手を敵視し、彼らを揶揄するような歌も作詞していました。また、絶大なライブ動員力を誇り、一時はBOØWYと人気を二分するほどの存在に。
※KAT-TUNや関ジャニ∞などとバラエティ番組で共演しています

1989年には、日本武道館史上最多の15日連続ものライブを決行。メジャーになっても地方をおろそかにしないライブ活動を続け、同時にラジオやテレビへの出演し、広島の『ピース・コンサート』、『夢の島ライブ』など募金やチャリティー・ライブの活動を通しての社会参加活動も行いました。

1991年(平成3年)、『第42回NHK紅白歌合戦』の出場歌手に選ばれましたが、この年のHOUND DOGは特にヒット曲がない状況でした。NHKは『ff(フォルティシモ)』を選曲しましたが、メンバーは「古い曲だから歌いたくない」とし、翌年リリースの新曲『BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜』の演奏を希望。

しかしNHKはその申し入れを拒否し、出場を辞退することになりました。代わりに大友康平さんと親友のバブルガム・ブラザーズが出場しました。
※バブルガム・ブラザーズは紅白のステージ上で、HOUND DOGにメッセージを送っているそうです

1990年代後半以後は低迷。

学校側からの依頼を受け、台東区立桜橋中学校(2002年開校)の校歌「永遠の唄 Song of Forever」を作詞。作曲は当時HOUND DOGのメンバーだった八島順一さんが担当しました。

2005年(平成17年)以降はボーカル・大友康平の事務所独立と他メンバー切り捨てが訴訟に発展するなど混乱状況が続いている。2015年現在、所属メンバーは大友康平さんただ1人。

2012年11月7日自身のブログで2011年に突発性難聴にかかっていたことを告白。聴力については手術も受けたが戻っておらず、また、関係者の話でも、完全な聴力回復は、ほぼあり得ないそうで、現実をしっかり受け止め、“それ”と正面から付き合うことにした、と発言しています。
※どちらの耳が聴こえなくなったかは、共演者や番組関係者に気を遣わせるので公表しない

(2015年9月時点)

 

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