2015年9月10日、フジテレビ系列『アウトデラックス』に「魂のルフラン」、「残酷な天使のテーゼ」などのエヴァンゲリオンの作詞家として有名な及川眠子さんですが、未だにエヴァンゲリオンを見た事がないという話になっていますが、実は1話分だけは観ているそうです。

及川眠子1

出典:http://dailynewsonline.jp/

実は、結婚を2回経験し、離婚した旦那さんの借金を背負ってしまった事がある及川眠子さん。他にもやしきたかじんさんに説教をしたことがあったり、Winkの歌詞報酬が3万円など、当たり障りなく紹介していきたいと思います。

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Wikiより詳しい?及川眠子のプロフィール

 及川眠子

出典:及川眠子公式サイト

名前:及川眠子(おいかわ ねこ)
本名:村田登志美 (むらた としみ)
生年月日:1960年2月10日
出生地:和歌山県和歌山市
血液型:B型
趣味:パチンコ
職業:作詞家(株式会社及川眠子事務所代表)
年収:約3000万円※20年間もらい続けているそうです
1987年10月からJASRACメンバー

中学生の時に音楽が好きになり、いいなと最初に思ったのがキャロル・キングでしたが、そのあとにユーミン(当時は荒井由実)を聴き、キャロル・キングとユーミン(当時は荒井由実)に共通するものがあると思ったそうです。

(当時は荒井由実)の歌詞を読んで、「歌の詞というのは、想像でものを書いてもいいんだ」と感じ、歌詞は形に縛りがあり、その縛りの中で何かを表現するというのも面白いと気づいたことで作詞に興味を持ちました。

高校生の頃にシンガーソングライターに憧れたが、ギターのFコードが弾けず作曲を断念し、タウン誌の編集、コピーライターなど12回の転職を経験した後、1985年に車のPRソングの歌詞を募集する「三菱ミニカマスコットソングコンテスト」に応募。

応募した作品「パッシング・スルー」(歌:和田加奈子さん)が最優秀賞を受賞し、作詞家としてデビューしました。その時の審査委員長がユーミン(この時は松任谷由実)だったことを考えると、結果的に作詞家になる二つの大きなきっかけだったかもしれません。

※「パッシング・スルー」は秋元康が補作詞をしているため、実質的なデビュー作はその8ヶ月後の女性二人組「ポピンズ」のアルバム収録曲「秘密100パーセント」「リップ・スキャンダル」となります

作詞はまったくの独学で、最初はとにかくいろんな人の真似をしながらたくさん書いていたそうです。20歳を過ぎた頃から少しステップアップして、アマチュアバンドに歌詞を提供するようになりました。

その間に就職して会社勤めもしていましたが、決められた時間、決められた場所に毎日きちんと通うのが苦痛で、3ヵ月くらいで飽きていたそうで、12回も転職しているそうです。

プロになる前の詞は、「こんな恥ずかしいものを残して死ねません(笑)。練習やプロセスを見られるのは恥ずかしい。」ということで、ほぼ全部処分しているそうです。プロになってからも、下書きは全部処分するそうです。

フジパシフィック音楽出版(現フジパシフィックミュージック)所属時代にWink、CoCoなど1980年代後半から1990年代前半のアイドルのヒット曲に多くの歌詞を提供されています。

【補足】

作詞家デビューして3年目にWinkの『愛が止まらない~Turn It Into Love~』を手掛けていますが、プロデューサーが別の作詞家に依頼したところ、その人が忙しくて、及川眠子さんに回ってきたそうです。

Winkの『愛が止まらない~Turn It Into Love~』のヒットで仕事は増え、アイドルの曲で売れたことによってアイドルの仕事ばかりになり、アイドルの曲ばかり書きたかったわけではなかった為、戸惑ったこともあったそうです。

やしきたかじんさんの『東京』で売れるムード歌謡ばっかりになり、エヴァンゲリオンで売れたらアニメばっかりの仕事が多くなったそうですが、周りから「あれ?この人は何でもできるのかな」と思われて、それからは仕事のジャンルが偏らなくなったそうです。

今でも、アーティストのプロデュース、ミュージカルやアニメ、CMなどへの歌詞提供、エッセイの執筆など、幅広く活動をしています。

(2015年9月時点)

【受賞作品】

1989年:Winkの「淋しい熱帯魚」が第31回日本レコード大賞
1994年:やしきたかじんの「東京」が全日本有線放送大賞・読売テレビ最優秀賞
2011年:1995年に高橋洋子さんの「残酷な天使のテーゼ」は発売15年目にして2011年のJASRAC賞金賞(著作権分配額1位)を受賞

 

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