情熱大陸で大黒摩季が語った夫への思いと子供について

26歳から子宮の大きな病気を抱えて治療に専念できない限り、いつも不妊のリスクと隣り合わせだった大黒摩季さんは情熱大陸で

「これだけ守ってきた歌とか音楽をおいてまで 欲しくなるものなんてないんですけど 他に・・・音楽を取ったら本当にバカなんで」

「今まで絶好調で歌ったことがないんですよ。何かをかばってやってきて・・・」

と打ち明けていました。
復帰を決めてから大黒摩季さんは顔に筋肉にアプローチするフェイシャルサロンに通い始めて内面も外面もメンテナンスをしているそうです。

休業前に結婚した夫(旦那)に帰宅報告をしていないことで何度も怒られたことがあるようで、休業してからは帰宅報告は日課になったと明かしていました。

今でも定期検診に行っている大黒摩季さんに情熱大陸のスタッフは密着していたのですが、大黒摩季さんが長い間、闘病していることはカルテの想像以上の厚みで確認できました。

そこでも大黒摩季さんは

「26歳で発覚した時には中期末期ぐらいのステージが高いところにきてて このまま放っておいたら子供産めなくなるよっていきなり言われたの・・・

女の幸せを取りますか?それとも仕事取りますか?みたいな究極の選択で 毎日、お腹壊しながら ずっと悩んでいたんだけれども

自分の中では くおぉぉぉってなって もうそこからが ずっと戦いですよね

結局、その時に私は もうなんか4万7千人をがっかりさせる・・・それからプラス千人以上いるスタッフ、そのバイトのお兄さんも含めて 私の為に用意して下さった期待とかを裏切る勇気がなかった」

と語っていました。

大黒摩季さんが語っていた「4万7千人をがっかりさせる・・・」というのは1997年8月1日にレインボースクエア有明特設ステージで初のソロライブ『LIVE NATURE#0~Nice to meet you~』の時の話で、薬で病気と付き合いながら歌い続けることを選びました。

しかし、大黒摩季さんは2010年8月に体の限界を悟り、40歳にして歩けなくなるかもしれないほど病気の症状も進行していたそうです。

大黒摩季さんは、休業に突き動かした裏には

「どのみち 元々産めないかもしれないって結婚して それでもいいっていう状態で・・(夫は)命の恩人みたいなところがあるんで その人に私が何かあげられるかって言ったら 何かプレゼントしたかったんですよ 最後の1%にかけて できるもんだったら・・・この人が本当は欲しかっただろうに お母さんもお父さんもそうですけど 私を選ぶことで捨ててくれたものを拾いたかったんですよ」

と、夫に対して切実な思いと子供が出来なかった事について大黒摩季さんは語られていました。

2015年11月に大黒摩季さんは、腹を決めて受精卵凍結して私有を全摘出をしました。

手術前夜に残した記録では

「いよいよ明日私の長年頑張ってきてくれた子宮を全摘出の手術何度か妊娠をした時に自分の病気まみれの子宮だったために卵自体はすごくグレードも良く発育も良かった子が何度も死んでったんですよね・・・

だから、自分の中で・・・これってすごく鮮烈な話だとは思うんですけど 自分の子宮で子供を殺したって気になってたんですよね・・・ずっと・・・

だから、諦めるというよりかは自分のトライを終える この休み中に本当に自分の足場は整備したのでやっとジャンプできるようになったんで心おきなく神様1回だけ 私に思うように生きさせてくださいっていう・・・

すごいスパークしたいですね・・・頑張れ!行ってきま~す 頑張るのはみんなだからね 寝てるだけ・・・おとなしくね・・・もうここまで来たら騒がんよ

じゃあね~ありがとうございました」

と語っており、20年間苦しんだ病気は手術の成功で完治しました。

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大黒摩季と母親の絆

母親は2002年頃に脳出血で倒れてしまい、左半身に麻痺が残ってしまったそうです。活動休止を機に大黒摩季さんは、母親を東京に呼び寄せて介護をしています。

情熱大陸で放送された内容では

大黒摩季「ものすごい頑張ってるのあれやってもらっていい?」

母親「いつも よしよししてる ものすごい頑張ってんの疲れたね」

と、大黒摩季さんの母親は大黒摩季さんの頭をなでていました。

大黒摩季さんと母親が散歩をしている時の会話では

大黒摩季「見て見て見て!警戒船だって 私さ 歳取ったら船舶の免許取るからね」

母親「歳取ったら取るの?」

大黒摩季「そうお金貯めて」

母親「何歳ぐらい?」

大黒摩季「ママ 生きてないとダメだよ ヨーダみたいに」

と母親と一緒に将来の夢を語ったり、

大黒摩季「復帰していい?って聞いたら どうぞいって・・・」

母親「いつまでも思ってるからね やっぱり もう1回やらなきゃだめ 人生ってね 思ってて終わったらダメ 必ず途中 一気にもう1回やることが大事なの」

大黒摩季「かっこいい大黒摩季の母っぽいイェ~イ!」

母親「もう1回 歌いたいって思いながら生きていくとダメなのよ 必ずどこかで きちんとやらなかったら一生後悔する」

大黒摩季さんは音楽の世界に復帰することを相談していたことを打ち明けていました。休業したことで母親とゆっくり過ごす時間も手に入れられたという気がしました。

 

大黒摩季が復活に選んだ場所 歌を作るきっかけとは?

休止中に始めたくなった事があった大黒摩季さんは、札幌スクールオブミュージック&ダンス専門学校で歌手を目指す若者達に技術と経験を伝えるために育てて一緒に「ら・ら・ら」を歌うことであると番組で紹介されていました。

情熱大陸のスタッフは、大黒摩季さんが札幌に帰ったら必ず立ち寄るなじみの店でじっくり話を聞いた内容を書き起こしてみたいと思います。

歌を作るようになったきっかけについて

「ママ!

ママに笑ってほしくていつも苦しそうだったから・・・

人生恨んでるがごとく

『何で私ばっかりこんなに苦労しなくちゃいけないの』

って弟をねんねこでしょいながら 私の手を引っ張りながら・・・

ママはもともとお嬢さんだったから初めて本気で貧乏して・・・

着た切りすずめで子供2人抱えて お父さんは昼間働きながらも夜すすきのに接待行ったりして独りぼっちで・・・

一緒になって鼻歌歌って一緒に愚痴って「一緒に」ってできるの女の子だからだもんね・・・

摩季ちゃん一緒に歌おうって言って「からす」歌ったり「上を向いて歩こう」とかをおじいちゃんのお墓の前で・・・

弟はス~ス~寝てて・・・

だからママを笑わせたいと思って一番いい鼻歌ないかなと思って難しい歌じゃないそれが「ら・ら・ら」です」

と、語りながら大黒摩季さんの目は涙に濡れていました。

ニトリ文化ホールで6年ぶりに単独ライブを行い3時間で27曲を歌いきりシンガー・大黒摩季が帰ってきました。

新しい曲のテーマは「母」

活動休止中にも溢れ出した言葉たちと共に新しい曲作りも始まっていました。

大黒摩季「その都度 母への思いが変わっていくんです」

と、言いながら大黒摩季さんは、書き重ねてきた言葉の中から歌詞になる言葉を探し、ピアノを奏でながらその言葉の情景をイメージしてメロディーを探していると閃いた大黒摩季さんは

♪mama forever

ねぇ mama
お願い 話を聞いて
思うように動けなくなって
生きるのが辛くても

ねぇ mama
どうか私の為に生きて
一緒に 未来を見ていこうよ
mama forever

音楽から離れて母と過ごした時間が紡いだ言葉や拾い集めた思いのかけらはどこか祈りにも似ていました。

 

最後に大黒摩季さんは

「渡井 今 本当にいい音楽を作りたいんですよ 本当のバカなんですよね 音楽バカっていうか だから諦めが悪いのも めげないのも そういうのも強い人なんじゃないですもん めっぽう弱いんですけど・・・知りたいんですよね その先にある音が・・・」

だから、今日も大黒摩季は諦めが悪い。僕は素敵だと思います。勝手に応援していきたいと思います。