2015年12月20日、日本テレビ系列『行列のできる法律相談所』では、『芸能界で生き残るための処世術を教えます!』SPと題して17年間のプロ生活の大半を「2番手捕手」として貫き、落合博満さんに「最大の補強」と言わしめ、英智さんに「世界一面白い捕手」と言わしめた小田幸平さんが出演されました。

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出典:http://www.asahi.com/

首脳陣から守備力と巧みなリードを高く評価され、ムードメーカーとしてチームを盛り上げ、清原和博さんと桑田真澄さん(KKコンビ)に可愛がられた稀有な存在の小田幸平さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?小田幸平のプロフィール

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出典:KOHEI ODA Official Web Site

名前:小田 幸平(おだ こうへい)
ニックネーム:ODA(オーディーエー)
生年月日:1977年3月15日
出身地:兵庫県高砂市
身長:181cm
体重:84kg
Twitter(ツイッター):@odakouhei52
公式サイト:KOHEI ODA Official Web Site

【選手情報】

投球・打席:右投右打
ポジション:捕手
プロ入り:1997年 ドラフト4位
初出場:1998年10月1日
最終出場:2014年9月23日
生涯最高年棒:3600万円(2013年中日ドラゴンズ時代)

【経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)】

市川高等学校
三菱重工神戸
読売ジャイアンツ (1998 – 2005)
中日ドラゴンズ (2006 – 2014)

【成績(NPB)】

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17年間  371試合/打率.197  2本塁打

兵庫・市川高校では甲子園に出場することはなく卒業後、社会人野球の三菱重工神戸でプレーしました。1997年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名を受けて、入団。

報告を受けた際に、「巨人の4位」を「ヨジンのキョイ」と言い間違える素っ頓狂なボケを無意識に披露したそうです。1年目の春季キャンプの時に清原和博さんや松井秀喜さんら強打者のフリー打撃を見て「とんでもないところへ来たもんだ」と絶望したそうです。

「キャッチングがうまい」と捕手の素質を高く評価してくれた桑田真澄さんの言葉に後押しされ、小田幸平さんは「捕手一筋」を心に誓い、頻繁にメモをとる勤勉さの姿勢も桑田真澄さん褒められ自信に繋がったそうです。

守備は即戦力級だったため、ルーキーイヤーの1998年から毎年一軍での出場機会を得ました。入団当初の目標は古田敦也さんだった為、トレードマークである眼鏡を掛け続けたのも古田敦也さんの影響だそうです。

1999年は、開幕一軍でしたが、開幕直後の対横浜ベイスターズ戦で村田真一さんの負傷退場に伴い守備に就き、先発バルビーノ・ガルベスさんが最大9点あった点差をひっくり返されて逆転負けした責任を取らされ即二軍落ちになり、10月まで昇格できませんでした。

2002年、元青森朝日放送アナウンサーを務めていた石井江奈さんと結婚しました。

2004年は、プロ7年目で初本塁打を放った結果、課題であった打撃に成長が見られたこの年以降、出場のチャンスが増えました。

2005年は、正捕手の阿部慎之助さん、2番手であった村田善則さんに次ぐ巨人の3番手捕手として出場することが多く、巨人在籍時で最多となる31試合に出場しています。2005年12月13日、FA(free agent)で巨人に移籍した野口茂樹さんの人的補償として、中日ドラゴンズに移籍することになりました。

中日ドラゴンズの殺伐とした雰囲気を変えるために自分をさらけ出し、人見知りの同級生・英智さんを巻き込んではロッカールームで選手たちの緊張感をほぐそうと、時には場の空気を読まずにボケ・ツッコミを演じたそうです。

2006年は、移籍して間もなく正捕手である谷繁元信さんがWBCへの出場のため離れたため、オープン戦では、ほぼスタメンで出場することができました。

打撃はともかく、守備とリードがとても良いと評価され、相手が先輩(岩瀬仁紀さん、川上憲伸さん、大ベテランの山本昌さん)であってもお構いなしに試合になれば容赦なく捕手として自分の意思を伝える姿勢が、先輩投手から信頼されて重宝されたそうです。
※山本昌さんとの相性の良さから、山本昌さんが先発時はスタメンで起用されることが多かった

2007年は、背番号が40から26へと変更。山本昌さんの不調もあり、出場機会は若干減少しました。オフに視力矯正のためにレーシック手術を受け、視力が回復したことにより以後は眼鏡なしでプレーしました。

2008年は、付けていた背番号26を大学・社会人ドラフト1巡目で名城大学から入団した山内壮馬さんが付けることになったことで背番号が28に変更。5月に谷繁元信さんが故障で離脱すると先発マスクを被ることが増えたが、谷繁元信さん以上の信頼を得ることはできず、山本昌さんとのバッテリーも奪われてました。

移籍後最多となる41試合に出場しました。しかし、秋季キャンプでは両足痛で途中離脱。更に、背番号28をドラフト5巡目で明治大学から入団した岩田慎司さんが付けることになり、52に変更されて、中日ドラゴンズに移籍してから4年連続で背番号を変更。

2009年は、シーズン開始直後に谷繁元信さんが怪我で離脱し、先発マスクの機会を得ましたが、4月18日の試合で逆転負けを喫した際に、落合博満監督からリードの悪さを指摘されてから小山桂司さんに先発マスクを譲ること。谷繁元信さん復帰後には二軍落ち。すぐに復帰しましたが、程なくして再び二軍落ちに。

2010年は、中日移籍後初めて同じ背番号52を2年連続付けることになしました。中日ドラゴンズで「やりましたぁ!」と「ODA」が定着【詳細は下記の記事をご覧下さい】

2011年は、キャンプで足首を痛めたため、開幕を二軍で迎えました。6月29日に一軍昇格し、7月5日の対阪神戦ではプロ入り初となるサヨナラ安打を放ちました。オフに国内移籍が可能なFA権を初めて取得。

会見では「(球団に)残って欲しいと言われたのと、まだひつまぶしと味噌煮込みうどんを食べたい。あとブランコから焼き肉を食べようと言われたので」とジョークで笑わせました。
※実際には悩みに悩み抜いての残留だったそうです

2012年は、福田永将さんや田中大輔さんら若手捕手の台頭もあって出場機会が減りました。

2013年は、8月28日のヤクルト戦(明治神宮野球場)でマット・クラーク、高橋周平に続いてホームランを打ち、2004年以来9年ぶりの本塁打を記録しました。

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出典:http://livedoor.blogimg.jp/

2014年10月1日に球団から戦力外通告を受け、12月2日、自由契約公示されました。他球団での現役続行を目指していたが、2015年1月25日、現役引退を表明しました。

2015年3月30日からはCBCラジオ丹野みどりのよりどりっ!にて月曜パーソナリティとして出演し、フリーランスの野球評論家として活動するかたわら、名古屋で幼稚園・小学生の児童向けに野球教室を主催して活動中です。

(2015年11月時点)

 

落合博満さんに「最大の補強」と言わしめ、英智さんに「世界一面白い捕手」と言わしめて、番長こと清原和博さんと桑田真澄さん(KKコンビ)にも可愛がられた理由は?