2016年2月19日、日本テレビ系列『アナザースカイ』では、現役引退してからもジムに通い、ジョギングを行うなどトレーニングを続けている前人未到のオリンピック3連覇という偉業を成し遂げた柔道家・野村忠宏さんが出演されました。

 柔道家の野村忠宏

出典:http://dogatch.jp/

アトランタ・シドニーオリンピックで金メダルを獲得後、2004年のアテネオリンピックの前に一度柔道から離れ、進退を決める為に向かった語学留学先アメリカ・サンフランシスコに14年ぶりに訪れた柔道家・野村忠宏さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?野村忠宏のプロフィール

柔道家の野村忠宏1

出典:http://www.nomuratadahiro.jp/

名前:野村 忠宏(のむら ただひろ)
出身地:
奈良県北葛城郡広陵町
生年月日:1974年12月10日
血液型:B型
身長:164cm
出身高校:天理高等学校
最終学歴:天理大学 → 奈良教育大学大学院 → 弘前大学大学院(医学研究科博士課程)
得意技:背負投
階級:男子60kg級
段位:7段
配偶者: 酒井葉子 (2001年5月 – )(元モデル)
備考:柔道一家、コーラが大好き
Twitter(ツイッター):@nomura60kg
ブログ:柔道家・野村忠宏のブログ 『Nomura Style』

【経歴】

1990年 3月 私立天理中学校 卒業
1993年 3月 私立天理高等学校 卒業
1997年 3月 天理大学体育学部武道学科 卒業
1997年 4月 奈良教育大学大学院教育学研究科 入学
1999年 4月 株式会社ミキハウス入社 柔道部所属
1999年 9月
奈良教育大学大学院教育学研究科 修了
2009年 4月 弘前大学大学院医学研究科 入学
2013年 3月 弘前大学大学院医学研究科 修了 医学博士号取得

【受賞歴】

  • 1996年
    奈良県民栄誉賞
    JOCスポーツ賞 優秀賞
  • 2000年
    銀杯一組(菊紋)
    JOCスポーツ賞 特別栄誉賞
  • 2004年
    紫綬褒章
    文部科学大臣顕彰 特別表彰
    大阪府知事賞詞
    大阪スポーツ大賞
    奈良県知事表彰/奈良県議会表彰
    天理市民栄誉賞
  • 2005年
    全日本実業柔道連盟功労賞
    テレビ朝日ビッグスポーツ賞
    朝日新聞朝日スポーツ賞
    関西運動記者クラブ関西スポーツ賞
    読売新聞読売スポーツ賞
    日本記者クラブホワイトベア・スポーツ賞

1938年(昭和13年)、祖父・野村彦忠さんが28歳の時に三愛精神(神を愛し、人を愛し、土を愛す)をもって青少年の健全育成のために「豊徳館野村道場」を開設された方です。

また、父親はロサンゼルスオリンピック金メダリストの細川伸二さんら名選手を育てた元天理高校柔道部監督の野村基次さんで、叔父は、1972年ミュンヘンオリンピック金メダリストの野村豊和さん、野村忠宏さんの兄・野村忠寿さんも道場のコーチをしており、柔道一家と言っても過言ではありません。

3歳で柔道を始めていましたが、体が小さく、1987年、兄・野村忠寿さんと同じ天理中学校に入学後、初の公式1回戦で女子に負けた事があるそうです。学校では兄というより先輩という存在になった事が一つの変化だったそうです。

1990年、天理高校に進学し、柔道部は全寮制だったようで、そこでも兄の存在が変わったそうです。柔道部の先生は、父の野村基次さんだったそうです。父に怒られた先輩から八つ当たりされる事もあったようですが、知らないところで兄が結構守ってくれていたそうです。

1992年、奈良県大会で優勝しました。インターハイでは予選敗退していますが、全日本ジュニア体重別選手権で準優勝でしたが、天理高校時代までは無名に近い状態でした。

1993年、天理大学体育学部体育学科武道学コースに入学。

1996年4月、全日本選抜柔道体重別選手権で優勝し、アトランタオリンピックの選手に選ばれました。柔道日本代表としてアトランタへ出発した際は、無名選手で空港内で他選手を取材していたスポーツ記者から邪魔と言われたことを後の苦労話のネタにしています。

1996年7月19日から8月4日までアメリカ・アトランタで行われた第26回夏季オリンピック「アトランタオリンピック」で男子柔道60kg以下級にて金メダル獲得しました。
※日本人としては初めて金メダルを噛むポーズで写真に写りました

1996年、広陵町名誉町民になりました。

1997年、1996年度JOCスポーツ賞優秀賞を受賞しました。

1997年4月、奈良教育大大学院保健体育科に進学後、同月の全日本選抜柔道体重別選手権を2連覇

1997年10月12日、世界柔道選手権で優勝。

1998年4月、全日本選抜柔道体重別選手権を3連覇。

1999年 1月9日、嘉納治五郎杯準決勝で左膝靱帯を損傷して敗退後、治療と修士論文執筆のため、半年ほど柔道を離れました。

1999年4月、ミキハウスに入社。

2000年9月16日、シドニーオリンピックにて2連覇達成。柔道軽量級で史上初の快挙。(2連覇)

2000年10月13日、緊急叙勲として銀杯一組(菊紋)を受賞。

2001年、2000年度JOCスポーツ賞特別栄誉賞を受賞。

2001年5月、元モデルの酒井葉子と結婚しました。

シドニーオリンピックから約1年ほど経過した時、周囲から今後(アテネオリンピック)について聞かれるようになり、それが鬱陶しくなり、柔道があまり盛んじゃない所としてアメリカ・サンフランシスコを選び、2001年夏頃から語学留学という名目で日本を離れました。

最初は本当にのんびりしていたそうですが、アメリカにも一応道場があり、お世話になった先生がやっていた道場に1~2週間に1回くらい顔を出しているうちに自分が求めるのはやっぱり柔道なのだと少しずつ心境が変化していきました。

2002年、講道館杯にて復帰しましたが敗退しました。

2003年4月、全日本選抜柔道体重別選手権で3年ぶり5度目の優勝して世界柔道選手権の代表に選ばれました。

2003年9月14日、世界柔道選手権で銅メダルを獲得。

2004年4月4日、全日本選抜柔道体重別選手権を2連覇し(通算6度目の優勝)、アテネオリンピックの代表に選ばれ、8月14日、アテネオリンピックにて3連覇達成。
※柔道史上初、全競技通してはアジア人初の偉業

【受賞内容は上記にまとめています】

2005年4月16日、日本のナイス・カップル大賞を受賞しました。

2007年5月、右膝の大きな前十字靱帯の断裂で手術をしましたが、怪我の連続で自分の思うような柔道ができにくくなり、厳しい稽古の積み重ねていく事も困難になっていきました。

2008年9月から2009年3月まで同志社大学スポーツ健康科学部客員教授に就任しました。

2009年4月、弘前大学大学院医学研究科博士課程入学。

2009年5月、ロンドンオリンピック出場を目指して現役続行を表明し、森永製菓のウイダーとサポート選手契約を結びました。
※現在は契約解除されています

2010年1月20日に自身初の著書『折れない心』を発売しました。

2010年11月、講道館杯に出場しましたが2回戦・志々目徹さんに一本負けしました。

2013年3月、スイスオープンで優勝、同年8月の実業選手権では3位でした。

2015年4月、七段に昇段したことを2015年6月21日に自身の公式サイトなどで発表しました。
※七段に昇格できる最少年齢は満33歳と決まっています。八段の場合は満42歳となっています

2015年8月24日、同月29日の全日本実業個人選手権(兵庫県尼崎市のベイコム総合体育館)を最後に現役引退を自身のオフィシャルサイトにて発表しました。

2015年8月31日にザ・リッツ・カールトン大阪で引退記者会見しました。

 

2015年9月23日に2冊目の著書『戦う理由』を発売しています。

(2015年9月時点)

 

Wikiより詳しい?酒井葉子のプロフィール

酒井葉子

出典:https://www.youtube.com/(モデル時代)

本名:野村 葉子(のむら ようこ)※旧姓は酒井
生年月日:1973年7月23日
出身地:大阪府寝屋川市
血液型:-型
身長:160cm
出身高校:東寝屋川高校
当時の事務所:旺美社(現:フィガロ)

高校在学中からモデルの仕事をしていました。芸能活動は主に関西だったようで、関西セルラー(現:au)のCMに出演したことがあるそうです。

※奥の女性が奥さんの酒井葉子さんだそうです

 

畳に立ち続けた野村忠宏さんの傍には常に妻・葉子さんがいた?

2015年8月31日に引退会見が行われ、フジテレビ系列『直撃LIVE グッディ!』では、奥さんの酒井葉子さんのエピソードが紹介されました。

実は妻の葉子さんは、柔道についてほとんど知らない人だったようで、結婚したの時の記者会見でも「柔道を知らないほうが家でいろいろと言われなくてもいいから」というコメントしていたそうです。

常に厳しく苛酷な環境に身を置いていた野村忠宏さんを妻・葉子さんも必死にサポートしていたそうです。

試合で緊張している野村忠宏さんをリラックスさせるためにご褒美は買い物旅行と言って緊張を和らげたり、スポーツ選手は食事の管理がとても大事だからと「ケガが絶えない体だったので、豆腐など高タンパク質のものを 多く取り入れた。強い体になってほしいの一心でした」言っていました。

畳に立ち続けた野村忠宏さんの傍には常に妻・葉子さんがいたんだなと思います。

2001年5月に結婚した野村忠宏さんは「自分が弱くなったのは妻のせい」と言われないためにも勝ち続けることを決意していたからこそ、2004年のアテネオリンピックで前人未到のオリンピック三連覇を達成できたそうです。

2007年5月、右膝の大きな前十字靱帯の断裂した時、涙ながら妻・葉子さんに

「手術をしないで頑張ってきたけど思った以上に足が動かない。どうしてええのかわからんのや」

と、弱音と迷いを語ったそうです。

これまで柔道の話をあまりしなかったという野村忠宏さんの姿を見た妻・葉子さんは

「そこまで思い詰めていたなんて・・・。分かってあげられなくてごめんね。でも話してくれないとわからへんやん。何があっても一緒に頑張っていこうよ」

と、言ったことで野村忠宏さんは、一人で抱え込んでいた苦悩を吐き出して、ずっと張り詰めていた気持ちが少し楽になった事を明かしていました。

番組終了後の更新していきます。