2016年8月29日、テレビ朝日『しくじり先生 俺みたいになるな!!』3時間スペシャルでは小林よしのりさんの「おぼっちゃまくん」をからネタをパクってしまったことを『つるピカハゲ丸』を描いた人気漫画家の のむらしんぼさんが告白します。

若林正恭さん(オードリー)が 全国各地に存在するしくじり先生に直接会いにいく企画で離婚や宗教以外にも壮絶な借金生活を「コロコロ創刊伝説」で完済を目指しているのむらしんぼさんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?のむらしんぼのプロフィール

出典:

本名:野村 伸(のむら しん)
生年月日:1955年9月24日
出身地:北海道茅部郡南茅部町
血液型:AB型
出身高校:函館ラ・サール高校
最終学歴:立教大学文学部仏文科 中退
職業:漫画家
活動期間:1979年 –
ジャンル:児童漫画、少年漫画

代表作

『とどろけ!一番』
『つるピカハゲ丸』

受賞

第33回小学館漫画賞児童部門(『つるピカハゲ丸』)

漁師の息子として生まれ、芸術家肌の祖父の血を引いていたのか、幼い頃から絵を描いていたそうです。小学2年生の冬休みの時に、始業式が明日にもかかわらず、図画の宿題をしていなかったことに父親がすごい剣幕で怒られ、泣く泣く図画の宿題をやった後、父親に「お前は画伯だ!」と言われたそうです。

小学校5、6年生の時に描いた漫画を友人に見せてからは漫画を描くことはなかったそうですが、高校1年生の時に漫画家の横山光輝の真似を数ページ描いてからはテニス部と受験勉強に追われて描かなくなってしまいました。

立教大学に入学してESSという語学サークルで英語劇をしていた時に評論家以上に漫画に詳しい先輩の下宿先でに初めて触れた青年漫画に衝撃を受け、小説以上にすばらしい世界だと感動し、漫画家を目指すことを決意しました。
※特に当時、手塚治虫の「きりひと賛歌」に非常に感動したそうです

大学2年生の時に漫画研究会に入りましたが、雰囲気に馴染めず3ヶ月ほど幽霊部員だった時もあるそうです。大学3年生の時にあるイベント会場で似顔絵描きのアルバイトをしていた時に漫画家の弘兼憲史さんに声をかけられました。

イベントの後、漫画家の弘兼憲史さんと共にコタツを買って、ご飯をご馳走になった縁でアシスタントとして呼ばれるようになり、弘兼憲史さんが師匠になりました。
※この時、のむらしんぼさんは21歳の時でした

弘兼憲史さんから一切、漫画の技術的なことは教えてもらえていないそうですが

  • 漫画家としての生活のあり方
  • 編集者との付き合い方
  • 漫画家のアイデンティティー

などを黙ってても背中で教えてくれたそうです。漫画家としての「目」を養えたのは弘兼憲史さんのおかげと大変感謝しているそうです。
※弘兼憲史さんから「漫画家の目はカメラだ」とよく叩き込まれたそうです

1979年(大学4年生)の時に月刊コロコロコミック 1979年 10号『ケンカばんばん』でデビューを果たし、小学館新人コミック大賞を受賞しました。

1980年、月刊コロコロコミックで『とどろけ!一番』を連載
を開始したことで本格的に漫画の世界に入ったため、立教大学を通わなくなり中退しました。
※5年間在籍はしたそうですが、卒業はしていません

何描いても自分の名前さえあれば読者がついてくるとうぬぼれていた時期の後に約3年ほどスランプに陥りました。のむらしんぼさんの漫画はストーリーを引きずり過ぎて余計なコマが多かったらしく、1回全部リセットさせてみようと編集部から4コマ漫画を描くことになりました。

のむらしんぼさんが、漫画の基本である4コマからの再出発を試みて1985年に生まれたのが『つるピカハゲ丸』でした。1987年に第33回小学館漫画賞児童部門を受賞し、1988年3月3日から『つるピカハゲ丸くん』というタイトルでアニメ化されました。

累計500万部のヒット作になった『つるピカハゲ丸』を機に1988年に漫画制作会社「しんぼプロ」を設立しましたが、『つるピカハゲ丸』が終了してから立て続けの親戚の死も重なったことで再びスランプに陥りました。

「マンガと心中したいんでしょう?その望み、叶えてあげます」という妻の一言で2004年に離婚。

2014年10月15日に小学館より『月刊コロコロコミック』の大人版として創刊された『コロコロアニキ』に月刊コロコロコミック創刊の歴史に絡めながら のむらしんぼさん自身のデビューの経緯を描いた漫画『コロコロ創刊伝説』を掲載中。