2016年1月14日、フジテレビ系列『アウトデラックス』では現役時代はロッテオリオンズで活躍し、ダイナミックな投球フォームからマサカリ投法と呼ばれ、2005年に野球殿堂入りをした村田兆治さんが出演されました。

村田兆治1

村田兆治さんがボールを手にして、アウト軍団を鍛え直す一幕もあったそうです。日本の野球界を代表する大物選手・村田兆治さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?村田兆治のプロフィール

村田兆治

出典:http://meikyu-kai.org/

名前:村田 兆治(むらた ちょうじ)
本名:村田 長次(読み同じ)
出身地:広島県豊田郡本郷町(現:三原市)
生年月日:1949年11月27日
血液型:O型
身長:181cm
体重:78 kg

【選手情報】

投球・打席:右投右打
ポジション:投手
プロ入り:1967年 ドラフト1位
初出場:1968年10月8日(対南海ホークス27回戦)
最終出場:1990年10月13日(引退試合)
通算成績:215勝177敗33セーブ、奪三振2363、防御率3.24

※プロ入り前から引退までをまとめています

プロ野球選手を志したのは小学5年の時、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行って、初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなってしまった事がきっかけだそうです。

進学した福山電波工業高校(現:近畿大学附属広島高等学校福山校)時代から県内でも屈指のピッチャーとして有名でした。
※スピードガンがあればその球速は既に152、153km/hをマークしていただろうと言われている

1967年、ドラフト1位で東京オリオンズに入団しました。背番号はエースナンバーの「18」を希望していましたが、叶わず「29」とになりました。この「29」番が後に村田兆治さんの代名詞になる事は誰も知りませんでした。

1968年、1年目は振るわず、当時はドラフト1位の契約金を持て余し、パチンコや麻雀など遊びに明け暮れていました。徹夜の麻雀を終えて独身寮に朝帰りして来た時、日課のロードワークに出発しようとしていた小山正明さんと鉢合わせになったそうです。

既にベテランで「投げる精密機械」と称えらていた小山正明さんが、若手の自分よりも遥かに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、その時はそのまま逃げるように自分の部屋に帰ったそうです。

その後、練習中に小山正明さんに謝りに行ったところ、「お前ほどの才能がありながら、それを無駄にするのはさびしくないか」と諭され、球界を代表する大投手からの叱咤激励に感激して別人のように練習に打ち込むようになったそうです。
※小山正明さんは、2001年に野球殿堂入りしています

村田兆治さんは、小山正明さん以外にも成田文男さん、木樽正明さん、坂井勝二さん、金田留広さんらから投球術を学んんだそうです。打撃の練習に対して非常に厳しい姿勢を見せていた榎本喜八さんからもプロ野球選手として影響を受けたそうです。

球団名がロッテとなった2年目の1969年5月先発、完投、完封、安打、打点、得点と異例の初づくし勝利をあげました。

1971年、金田正一監督のアドバイスを元に投球フォームを大幅に改造し、「マサカリ投法」の原型を編み出しました。

1976年にはフォークボールを習得。人並み外れた長い指が生み出す切れ味鋭いフォークボールで、257回を投げて21勝を挙げると同時に、防御率1.82で最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
※1976年から1979年まで4年連続で2桁暴投を記録(捕手に頼らず自分で投球を組み立てていたからだそうです)

1982年にヒジを故障して選手生命を絶望視されましたが、当時の日本球界でタブーとされていた渡米しスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブの執刀の下、左腕の腱を右肘に移植する手術(トミー・ジョン手術)を受け、2年間をリハビリ後、1984年シーズン終盤に復帰。
※復活によって有効な治療法として認識されるようになりました

1985年、開幕から11連勝を挙げるという鮮烈な復活劇を見せ、最終的に17勝5敗の成績でカムバック賞を受賞し、ロッテのリーグ2位に貢献しました。同年から、中6日で日曜日のみに登板する先発ローテーションを取るようになったため、「サンデー兆治」とも呼ばれました。

200勝に王手をかけていた1989年4月16日の対近鉄戦(川崎球場)では延長11回を投げ切りながら敗戦投手になりました。1989年5月13日、対日本ハム戦(山形県野球場)で通算200勝を達成し、39歳にして3回目の最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

1990年、10勝をマークし、10度目の二桁勝利を挙げ、若林忠志さん以来史上2人目となる40歳代での二桁勝利を記録しました。

1990年10月13日、対西武(川崎球場 引退試合)で、降りしきる雨の中、ストレートで始まり、最後はウイニングショットのフォークボールで計5万2697球目を投げ終え、マウンドに別れを告げました。

村田兆治【現役最後の登板】1990年10月13日(川崎球場)

 

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