2017年3月23日、日本テレビ『衝撃のアノ人に会ってみた!』では1994年に起きた太平洋で92日間漂流生活から奇跡の生還をした漂流おじさんこと諸井清二さんが「今、何をしているのか?」、「今だから話せる衝撃動画の真相・ウラ話」をするために出演します。

 

嫁(妻)の千恵子さんの待ち続けた92日間と九死に一生を得ましたが恐怖を拭うことはできない諸井清二さんですが遭難から帰還してからヨット製造会社側と和解した後にコーヒー農園を経営している今について当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?諸井清二のプロフィールと経歴・学歴

出典:

名前:諸井 清二(もろい せいじ)
生年月日:193?年??月??日
出身地:大阪府茨城市 ?
血液型:―型
身長:―cm
体重:―kg
配偶者:千恵子

著書

1994年12月 九十二日目の天国―酒呑童子号の太平洋漂流日誌(産經新聞出版)

 

退職金の半分を使って諸井清二 ヨット「酒呑童子号(しゅてんどうじごう)」を買う

21歳の時に関西汽船株式会社に就職して外国航路に乗船して海の経験を積むかたわら海技大学校に通い、資格を取って三等から一等への航海士を経て、56歳の時にはジャンボフェリーの船長を務めていました。
※関西汽船株式会社は、2011年10月1日にダイヤモンドフェリーとともにフェリーさんふらわあに合併

世界で初めての「すべてが人工島からなる海上空港で旅客・航空貨物の両方で日本初の24時間運用」の関西国際空港が1994年9月4日に開港するということを祝って「環太平洋ヨットレース」が開かれる事を知った諸井清二さんは、 定年を2年後に控えてレースは自分に用意された舞台のような気がしたそうです。
※諸井清二さんは23歳の時からヨットでの世界一周が夢

諸井清二さんは、嫁(嫁(妻))の千恵子さんと結婚してから5人の子どもに恵まれましたが、「夢が果たせないままにその夢を」を口癖にしていた為、家族からあきれられていましたが、海の男として34年間生きてきた人生総決算として会社は辞めました。

引き止められもしたそうですが、レースに挑戦することにした諸井清二さんはレースの規定はダブルハンド(2人乗り以上)だった為、嫁(嫁(妻))の千恵子さんと新婚旅行をしていなかった事もあり、レースのパートナーに選びました。

関西国際空港を世界にアピールと国際交流の促進を目的にしていた環太平洋ヨットレースは、太平洋沿岸都市の「ロサンゼルス」、「ブリスベン」、「上海」、「釜山」、「ウラジオストク」の5都市 からエントリーがあり、諸井清二さんはロサンゼルスをスタート地点に決めました。
※環太平洋ヨットレースのコースは複数あったようで、ゴールが関西国際空港沖でした

嫁(妻)の千恵子さんは、嬉しさと不安が半分半分の状態だったそうですが、諸井清二さんのペースに巻き込まれて独学で無線通信の勉強して海上無線四級の資格を取りました。

レース後の生活は年金で、子どもの養育費は退職金の半分を充てるという計算で残り半分の退職金1600万円で全長13メートルの中古のヨットを購入し、「酒呑童子号(しゅてんどうじごう)」と命名して準備万端整えました。

環太平洋ヨットレースのロサンゼルスをスタート地点に決めていた諸井清二さんは、ロサンゼルスまではヨットを自身一人で回航して、嫁(妻)の千恵子さんと合流してレース開催日の1994年4月24日に参加できると踏んで兵庫県西宮市にあるヨットハーバーから1994年2月11日に出港しました。

 

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