2016年2月3日、日本テレビ系列『ナカイの窓』ではパパと娘SP第2弾と題して、人気芸能人の心の中を心理分析官「ココロジスト」たちが暴きだす「娘を不幸にするパパ」とは一体誰になるのでしょうか。今回出演された方は下記の通りです。

 

北村晴男さん(北村まりこさん)、天龍源一郎さん(嶋田紋奈さん)、宮澤ミシェルさん(宮沢セイラさん)、村上ショージさん(バターぬりえさん)について当たり障りなく紹介してみたいと思います。
※()は娘を意味しています

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【簡易版】Wikiより詳しい?北村晴男のプロフィール

北村晴男

出典:@kitamuraharuo

名前:北村 晴男(きたむら はるお)
生年月日:1956年3月10日(59歳)
出身地:長野県更埴市(現・千曲市)
血液型:AB型
趣味:ゴルフ、野球
出身高校:長野県長野高等学校
最終学歴:早稲田大学法学部
職業:弁護士(登録番号:21115、東京弁護士会)、タレント
配偶者:あり
子供:長男・北村晃一、次女・北村まりこ
備考:創価学会芸術部員
Twitter(ツイッター):@kitamuraharuo
弁護士サイト:http://www.bengoshi-kitamura.com/

実家は鉄工所を経営しています。厳格な父の元で育ち、高校生時代、恵庭事件第1審判決の報道をきっかけに弁護士を目指しました。

1971年、長野県長野高等学校に入学し、野球部に入部しました。高校3年生(1973年)の夏、第55回全国高等学校野球選手権記念長野大会の準々決勝で長野工業高校に敗れ、甲子園出場の夢を絶たれたことを機に野球を断念しました。

高校卒業後、1浪して1975年、早稲田大学法学部入学。大学2年から司法試験に合格する直前まで、学費と生活費捻出のために埼玉県和光市で学習塾を開いていたそうです。

1979年、早稲田大学法学部卒業。

1986年、司法試験合格。

1989年、司法修習41期修了し東京弁護士会に弁護士登録

1992年、北村法律事務所を開設。弁護士としては、主に一般民事(保険法・交通事故・債権回収・医療過誤など)を専門とし、特に生命保険に関する訴訟では高い評価を得ています。

2004年、北村・加藤・佐野法律事務所を開設。

麻生太郎(第92代内閣総理大臣)と懇意にしており、2007年9月22日 自民党総裁選 熱過ぎる北村弁護士の応援演説されています。

 

【簡易版】Wikiより詳しい?北村まりこのプロフィール

北村まりこ

出典:http://spacecraft.co.jp/

名前:村 まりこ(きたむら まりこ)
生年月日:1992年4月2日
出身地:神奈川県
血液型:A型
身長:160cm
体重:― kg
靴のサイズ:24.5cm
スリーサイズ:B85 W63 H87
最終学歴:洗足学園音楽大学声楽科
特技:3オクターヴの音域の声を出せる
好みの男性:中村昌也
事務所:スペースクラフト・エンタテインメント
備考:兄はプロゴルファーの北村晃一

小学校6年生の時からミュージカルスクールに通い始め、親に無断でモーニング娘。のオーディションを受けたこともあるそうです。
※洗足学園音楽大学の声楽科ということもあり、歌と踊りの基礎はできているそうです

父・北村晴男さんの名前は一切出さないで、ミュージカル女優を目指してプロダクションのオーディションを受けていましたが、なかなか合格には結びつかず、親の七光とは言われたくなかったそうですが父を頼り、2013年5月に神田うのさんが所属するスペースクラフト・エンタテインメントに所属が決まりました。

2013年8月27日放送に放送された日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』でテレビデビュー。同年9月22日放送に放送された日本テレビ系列『行列のできる法律相談所』で父・北村晴男さんと親子共演も果たしました。

2013年11月25日発売の『週刊ポスト』でグラビアデビューもしています。

 

【簡易版】Wikiより詳しい?天龍源一郎のプロフィール

天龍源一郎

出典:http://tenryuproject2010.com/

本名:嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)
リングネーム:天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう)、テン・ルー、大ハヤブサ
ニックネーム:風雲昇り龍、ミスタープロレス、モンスター大将、ハッスル大将
身長:189cm(力士時代は身長186cm)
体重:120kg(力士時代は体重112kg)
誕生日:1950年2月2日
出身地:福井県勝山市
所属:天龍プロジェクト
スポーツ歴:大相撲
トレーナー:ジャイアント馬場、ドリー・ファンク・ジュニア
デビュー戦:1976年11月13日(対T・デビアス戦)
団体遍歴:全日本 → SWS → WAR → フリー → 全日本 → フリー → WJ → フリー → 天龍プロジェクト
主要獲得タイトル:三冠ヘビー、IWGPヘビー、世界タッグ、IWGPタッグ
引退:2015年11月15日

【角界時代】

四股名:天龍 源一郎
所属部屋:二所ノ関部屋
初土俵:1964年1月場所
入幕:1973年1月場所
引退:1976年9月場所
最高位:西前頭筆頭
優勝:十両優勝1回
引退後:プロレスラー

農家の長男として生まれ、幼少期より米をたくさん食べて大きく育ち、中学2年の身体検査では182cm、82kgを記録していたそうです。しかし、大きな体がコンプレックスになっており、勉強も苦手だったことと合わせて周囲からはからかわれがちでした。

勝山市立北郷小学校卒業後は勝山市立北部中学校へ入学しましたが、父が床屋で散髪中に床屋の店主が二所ノ関部屋後援者に「この辺りに相撲に入れられるような身体の大きい子はいないかな?」と声を掛けられ、父が「うちの息子は大きいよ」と返答したことがきっかけで大鵬(最高位:第48代横綱)が嶋田源一郎さんの元へやって来て大相撲へ勧誘されました。

入門が内定したことから中学2年生の時に墨田区立両国中学校へ転校し、1963年12月、二所ノ関部屋に入門。

16歳の時のある巡業で移動の際に兄弟子から大鵬の双眼鏡を持って行くよう命じられたが、それを聞き忘れたためその巡業中に兄弟子たちに竹刀や青竹、角材で殴られたそうです。かわいがりを行った兄弟子たちも「どうだい、きつかったか? これでお前も一人前だよ」と翌日からは何事もなかったかのように接していたそうです。
※かわいがりとは、相撲界の隠語で躾や心身鍛錬のために「厳しい稽古」で痛め付ける、鍛えることを意味

「天龍」の四股名で1973年1月場所から幕内に16場所在位し西前頭筆頭まで上り詰めたが、 1975年3月28日に師匠(佐賀ノ花勝巳)の死去に端を発する部屋の後継問題(押尾川事件)に巻き込まれました。

押尾川親方(大麒麟)の興した押尾川部屋に入りたかったそうですが、金剛(金剛正裕)が二所ノ関を襲名して継承した二所ノ関部屋に戻されそりが合わなかったもあり意気消沈し、1976年秋場所に勝ち越したものの(東前頭13枚目、8勝7敗)、同場所を最後に廃業。

1976年10月全日本プロレスへ入団。

【プロレス時代は省略させていただきます】

2015年2月9日、記者会見を開き「2015年11月を以てプロレスラーを廃業し、現役を引退」を表明。
※引退理由に「妻の病気で、今度は俺が支える番だ」と思ったことと、「プロレス人気の盛り上がりにそろそろ潮時かな」と感じたことを挙げています

2015年11月15日、引退ロード最終戦 天龍プロジェクト 東京両国国技館でオカダ・カズチカと戦いを最後に引退しました。
※引退後について指導者としてプロレス界に関わることは否定しています

 

【簡易版】Wikiより詳しい?嶋田紋奈のプロフィール

嶋田紋奈

出典:http://jp.quumu.com/

名前:嶋田 紋奈(しまだ あやな)
生年月日:1983年7月8日
身長:168cm
体重:―kg
職業:天龍プロジェクト代表
家族構成:父・天龍源一郎(本名:嶋田源一郎)、母・嶋田まき代

中学2年の頃から、父の背中に憧れて手伝うようになりました。父と一緒に巡業をしている時に女子レスラーとも知り合いになったようで、夏場の会場設営などの激務で基礎体力がついたようで体格的にもプロレスラーができるのではないかと思い「プロレスラーになろう」と決意したことがあったようです。

父に相談したところ「オレはプロレスしかできないからオマエに教えてやれるけど、オマエはプロレス以外のことをやってオレに教えてくれ。それが家族ってもんだ。」と、絶対に首を縦に振ってくれなかったそうです。

父・天龍源一郎さんを中心とするプロレス団体「天龍プロジェクト」の代表を父・天龍源一郎さんの引退まで務めあげました。

 

【簡易版】Wikiより詳しい?宮澤ミシェルのプロフィール

宮澤ミシェル

出典:http://www.someday.bz/

名前:宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル)
生年月日:1963年7月14日
出身地:千葉県
身長:177cm
体重:74kg
出身高校:千葉県立市原緑高校
最終学歴:国士舘大学
資格:中学教諭1級普通免許、高等学校教諭2級普通免許
家族構成:妻と2男1女(長男はサッカー選手・宮澤勇樹、長女はモデル、タレントの宮沢セイラ)

父はクロマティック・アコーディオン奏者のフランス人デデ・モンマルトルさん(本名アンドレ・レジャン)です。

1981年、千葉県立市原緑高校時代にびわ湖国体で、国体史上初の外国籍選手として出場しました。
※当時、日本は父系血統主義だったのでフランス国籍でした

国士舘大学サッカー部を経て、1986年に日本サッカーリーグのフジタ工業サッカー部(現・湘南ベルマーレ)に加入し、1988年度には(第68回大会)天皇杯準優勝を経験しています。
※当時の本名はミシェル・ジュンジ・レジャン(Michel Junji REGENT)で、登録名はミッシェルでした

1992年、地元・千葉県を本拠とする東日本JR古河SC(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)へ移籍し、1993年には日本国籍を取得。
※日本国籍取得後は宮澤ミッシェルと名乗っていたが、後にフランス語の読みに近い「ミシェル」に改めています。苗字は母親の「宮澤」です

1994年にファルカン監督時代の日本代表に選出されたが、直後に負傷し辞退しています。

1995年のJリーグを最後に現役を引退。

引退後は、指導者としては帝京高等学校でコーチを務めたり、サッカー解説者およびコメンテーターとして活動しています。

 

【簡易版】Wikiより詳しい?宮沢セイラのプロフィール

宮沢セイラ

出典:@seira_miyazawa

本名:宮澤 成良(みやざわ せいら)
愛称:セイラ
生年月日:1993年10月29日
出身地:千葉県
血液型:O型
身長:168cm
体重:―kg
スリーサイズ:B85 W60 H87(2014年時点)
趣味:ホットヨガ、音楽鑑賞、写真を撮ること
特技:バレエ、身体が柔らかいこと、誰とでも話せること[21]。皆を明るくさせる、人見知りをしない性格
デビュー:2011年
事務所:Little Tokyo Production
備考:乃木坂46(2011年 – 2013年)、2015年東レキャンペーンガール(2014年 – )
Twitter(ツイッター):@seira_miyazawa
ブログ:http://ameblo.jp/seira-miyazawa

3歳からクラシック・バレエを習い始め、高校1年生(15歳)の夏にモナコからのオファーを受けて王立プリンセス・グレース・クラシックダンス・アカデミーへ一年間単身留学しました。

留学中に左足首を痛め三角骨摘出手術を受けましたが、バレリーナを断念し、帰国しました。バレリーナとしての道を閉ざされてしまい意気消沈していたところ、母親が乃木坂46の1期生オーディションの書類選考に応募しました。

オーディションでは絢香の「みんな空の下」を歌い。2011年8月21日、乃木坂46の1期生オーディションに合格し、「宮澤成良」の名義で活動しました。
※後列左端の立ち位置で「暫定選抜メンバー」に選出されました

2012年2月22日、乃木坂46の1stシングル「ぐるぐるカーテン」のカップリング曲「左胸の勇気」、「会いたかったかもしれない」でCDデビューを果たしました。

2013年9月28日、『GirlsAward 2013 AUTUMN / WINTER』に乃木坂46として出演し、2013年11月12日、乃木坂46を卒業することを発表しました。
※発表から5日後というあまり例のない早いスパンの卒業でした

2014年3月28日、事務所Little Tokyo Productionに所属したことを発表し、芸名を「宮沢セイラ」に改めました。

2014年4月19日、『GirlsAward 2014 SPRING/SUMMER』に出演。

2014年11月4日、2015年度東レキャンペーンガールに選出されたことが発表されました。
※選考理由は「水着が似合うスタイルの良さ、明るい雰囲気を選考のポイントにした」そうです

 

【簡易版】Wikiより詳しい?村上ショージのプロフィール

村上ショージ

出典:http://search.yoshimoto.co.jp/

本名:村上 昭二(むらかみ しょうじ)
生年月日:1955年5月28日
出身地:愛媛県今治市
血液型:B型
身長:164cm
最終学歴:広島県立因島高等学校定時制科
師匠:滝あきら
トリオ名:何人トリオ(解散しています)
相方:Mr.オクレ、前田政二
芸風:漫談、一発ギャグ、コント、すべり芸
活動時期:1977年 –
事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー

三男として生まれ、母を早くに亡くし、父も身体が悪く生活保護を受けていたそうです。中学卒業後、親戚の伝で広島県因島市(現:尾道市)に移り、因島高校の定時制に通いながら日立造船因島工場で溶接工として働いました。

1976年、造船所の溶接仕事の合間に見た毎日放送制作・TBS系『ヤングおー!おー!』明石家さんまさんを見て「この人になろう!」と決意したのですが、父親が反対したため、親孝行のために地元で就職していました。

父親が亡くなって兄から「好きに生きろ」との許可が降り1977年、吉本入りを志願し大阪へ向かい面接の時に吉本の面接官から「何ができるの?」と問われ「溶接です」と答えた事から吉本から与えられた初めての仕事は劇場の手摺の溶接でした。

「楽そうだから、優しそうだから」という単純な理由で吉本所属の漫談家だった滝あきらさんに弟子入りしました。

1989年にモデルと結婚。仲人は当時夫妻だった明石家さんまさんと大竹しのぶが務めました。
※ただし明石家さんまさん自身は所用で披露宴を欠席したため不仲説が出たそうです

1999年に離婚をきっかけに明石家さんまさんの勧めで大阪を離れ東京に住居を置くようになりました。

2005年にドラえもんの新声優オーディションを受け、「ぼくドラえもんでっせ」という関西弁のドラえもんで関係者を爆笑させたが落選しています。

大阪で炭火焼鳥「くっくどぅ~ん」、居酒屋「村上食堂」を経営・プロデュースしていましたが、2014年に両店舗のプロデュースを退任したことで店舗名も「漁火酒場まつかぜ」に変更されています。

2015年7月、大手居酒屋チェーンアンドモワ株式会社より居酒屋「しょうゆうこと」をプロデュースし、村上ショージさん本人ゆかりの地である愛媛県松山市、広島県広島市、大阪府大阪市中央区に計3店舗出店しています。
※2015年9月1日時点

 

【簡易版】Wikiより詳しい?バターぬりえのプロフィール

バターぬりえ

出典:http://natalie.mu/

本名:村上 ぬりえ(むらかみ ぬりえ)
生年月日:1989年
最終学歴:近畿大学 文学部 芸術学科 造形美術専攻卒
身長:164cm
体重:―kg
Twitter(ツイッター):@tumicy
Youtube:バターぬりえの意味ナッシングTV

芸人になり前は「つみき つみき」名義でイラストレーターとして活動していました。

 

番組終了後、結果を更新していきたいと思います。