015年12月5日、日本テレビ系列『嵐にしやがれ』ではデビュー35周年・近藤真彦さんのスペシャル企画「知らないでは許されない!最新マッチ伝説」と題してマッチこと近藤真彦さんが出演されました。

究極のカレーの食べ方など意外なこだわりが明らかになったり、マッチ被害者の会が重い口を開いたそうです。マッチVS嵐がスタジオでミニセグウェイ対決では一体どちらが勝利したのでしょうか。マッチこと近藤真彦さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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WIkiより詳しい?近藤真彦(マッチ)のプロフィール

近藤真彦

出典:http://middle-edge.jp/

本名:近藤真彦(こんどう まさひこ)
ニックネーム:マッチ〈MATCHY〉※1
自称:日本一の雨男
生年月日:1964年7月19日
出身地:神奈川県大和市
血液型:O型
身長:170cm
職業:歌手、俳優、タレント、レーシングドライバー、レーシングチーム監督、会社役員
活動期間:1977年 –
レーベル:RVC(現・Ariola Japan)1980年 – 1984年、ソニー・ミュージックレコーズ 1985年 –
事務所:ジャニーズ事務所
備考:レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニー代表取締役社長兼チーム監督

※1 名付け親は事務所の先輩・松原秀樹さん

1977年中学一年の時にジャニーズ事務所に入所しました。

1979年10月、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビューを果たし、同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍しました。
※1980年代前半に活躍しました。正式なユニット名ではなく、名称の由来は、田原の「田(た)」、野村の「野(の)」、近藤の「近(きん)」のそれぞれの文字より抜粋しています。

その後ソロ歌手デビューし、1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍しました。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞。

1987年の『日本レコード大賞』受賞の際に、前年に事故死した母親の遺骨が墓から盗まれ、返してほしくば受賞を辞退するよう脅迫される事件が起きた。マスコミに発表したのは翌1988年の年初で、2015年現在遺骨は未だ近藤の元に返ってきていません。

ファンによる数々の親衛隊を事務所では「応援グループ」という呼び名で統一させ、親衛隊という言い方はさせなかったそうです。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま~っさひ~こ~」というフレーズも作られました。

1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(35400人の観客を動員)したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義さんのもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦しました。

1994年にはフランスのル・マン24時間レースに初参戦し、1992年の全日本F3選手権チャンピオンのアンソニー・レイドとのコンビで全日本GT選手権(JGTC)で初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾りました。
※ポールトゥーウィンとは、ポールポジションからスタートして、レースでも優勝することを指します

1994年に一般人女性(和田敦子さん)と結婚。

1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し、レーシングチームの運営ノウハウを学んだそうです。

2007年10月8日に第一子となる男児(轟丞 ごうすけ)が誕生。

2004年8月4日の午前、白浜海水浴場沖合で「KONDOレーシングチーム」の関係者ら5人と水上バイクなどを楽しんでいた近藤真彦さんは、和歌山県白浜町沖で大阪府羽曳野市の小学2年男児を救助したことが朝日新聞の記事にもなりました。

番組終了後、更新していきます。