甲子園の戦績は下記のとおりです。

1年生夏:優勝
2年生春:準優勝 – 岩倉(東東京)に敗れる
2年生夏:準優勝 – 取手二高(茨城)に敗れる
3年生春:ベスト4 – 渡辺智男を擁する伊野商(高知)に敗れる
3年生夏:優勝
※渡辺智男さんは元プロ野球選手(投手)で愛称は「ナベトミ」

特に清原和博さんと桑田真澄さんの名前の頭文字をとってKKコンビと呼ばれるようになりました。豪快な本塁打など、試合での活躍で多くの伝説を生んだ人物です。

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清原和博の甲子園通算成績は?

91打数40安打 打率.440 本塁打13(通算記録)

一大会における選抜高等学校野球大会最多タイの3本塁打、全国高校野球選手権大会最多の5本塁打を挙げて歴代1位の通算13本塁打を記録。

1年生夏の準決勝、3季連続優勝を目指す徳島県立池田高等学校との試合に勝利した事などで、清原和博さんと桑田真澄さんは注目されるようになりました。

当時の清原和博さんは、「同校史上初めての1年生の四番打者」として注目をされる程度で、実力の接近したチームを追う二番手グループの中にも挙げられていませんでした。

徳島県立池田高等学校絶対有利の評価のなか、7対0でPL学園高校の圧勝でした。桑田真澄さんは強打の徳島県立池田高等学校を完封し、一度も甲子園で本塁打を打たれたことのない水野雄仁から本塁打を放ちました。

1985年の日本プロ野球のドラフト会議を巡って発生した騒動のKKドラフト事件とは?清原和博が涙?
1985年のドラフト会議で、清原和博さんは尊敬する巨人・王貞治監督の下でのプレーあるいは実家から近い阪神タイガース入り熱望を表明し、一方、桑田真澄さんは早稲田大学進学を表明していました。

清原和博さんは、両軍が自身への交渉権逃した場合には、次のドラフトまでに社会人野球・日本生命硬式野球部で野球をする事を表明していました。

しかし、巨人は早稲田大学進学を表明していた桑田真澄さんをドラフト1位で強行指名しました。清原和博さんには、南海ホークス、日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、近鉄バファローズ、西武ライオンズ、阪神タイガースの6球団から1位指名を受けましたが、西武ライオンズが交渉権を獲得し、ドラフト会議直後の記者会見では、失意で涙を溜めた清原和博さんの姿が放送されました。

自宅で泣く清原和博さんを見た母親は

「あんたが勝手に惚れて、勝手に振られたんやないの。男らしく諦めなさい。男なら見返してやりなさい。泣いてる暇なんてないはずやで!」

と言い聞かせ、プロに入り巨人を見返してやるとの思いを強くして清原和博さんは西武ライオンズに入団し、真澄さんも早稲田大学進学志望を取り下げて巨人に入団しました。

それから2年後の1987年の日本シリーズで日本一へ、あと1アウトの時に二塁・辻発彦さんがタイムをかけ、試合が中断しました。

清原和博号泣

泣いていた一塁・清原和博さんに駆け寄り「最後や。しっかり守らんかい」と声をかけ、工藤公康投手が篠塚和典選手を中飛(センターフライ)に仕留め、悔し涙を嬉し涙に変えた出来事でした。

”清原和博さんは自著の中で「9回、ファーストから、三塁ベンチの巨人の選手、王さんの姿が見え、ドラフトのことを思い出し涙が止まらなくなった」と述べており、二塁手の辻発彦になだめられた。この試合に先発し9回のマウンドに立っていた工藤公康は、試合後のインタビューで「(あと1アウトで胴上げ投手だったので)どんなガッツポーズをしようか考えていたのに、アイツ(清原)が泣きやがってそれどころじゃなくなった」と答えつつも、「あの涙は本当に美しかった」と語っていた。”
Wikipediaから引用

 

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