2015年8月28日に放送されるフジテレビ系列『ダウンタウンなう』で清原和博さんが、ダウンタウンと坂上忍さんが東京・三軒茶屋で、様々な大物芸能人がいる店を回り、ハシゴ酒を敢行する“お悩みハシゴ酒”を企画で世間を騒がせた“あの騒動”(入れ墨、薬物疑惑、お遍路)について語るそうです。

ダウンタウンなう

清原和博さんの「黒い噂」に関する真相を徹底追及されるそうです。当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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清原和博のプロフィール

清原和博

出典:http://girlschannel.net/

生年月日: 1967年8月18日
出身地:大阪府 岸和田市
身長:188 cm
体重:104 kg
配偶者:清原亜希(旧姓:木村亜希) (2000年 – 2014年)
兄弟:清原幸治(弟)

【選手情報】
投球・打席:右投右打
ポジション:一塁手
プロ入り:1985年 ドラフト1位
初出場:1986年4月5日
最終出場:2008年10月1日(引退試合)
生涯年俸:51億2300万円

【通算成績】
2338試合出場
525本塁打
1530打点
打率272
2122安打
1346四球
196死球
オールスター出場19回

【経歴】
PL学園高等学校
西武ライオンズ (1986 – 1996)
読売ジャイアンツ (1997 – 2005)
オリックス・バファローズ (2006 – 2008)

 

【清原和博伝説】KKコンビが誕生するまで

実家は東芝ストアー(電器店)を経営し、家族の巨人ファンの影響で清原和博さんは読売ジャイアンツ(以下 巨人)ファンとして育ったそうです。(父親だけ阪神ファン)

1974年に巨人は中日ドラゴンズにV10を阻止され、1975年は広島東洋カープにリーグ優勝をさらわれ、2年連続で優勝を逃したことが、野球に入っていくひとつのきっかけだったそうです。

1974年、岸和田市立八木南小学校に入学してから、岸和田リトルリーグの部員募集ポスターを見て入団テストを受け、岸和田リトルリーグに入団しました。
※毎日祖父から100円を貰い練習をして金銭を貰って野球をする感覚を覚えたそうです

1977年、6年生ばかりのレギュラーに混じり、唯一4年生でレギュラーを獲得し、投手としても才能を発揮。6年生の最後の試合ではエースで4番を務め、完全試合を達成しています。

岸和田市立久米田中学校に進学と共に、岸和田シニアリーグに移り、中学2年生にしてキャプテンとして関西シニアで優勝を果たし、3年生の時には、日本生命球場(日生球場)のネットを揺らす本塁打を放ちました。

30校近いスカウトの中で天理高校かPL学園かどちらに行くかで悩み、両校の練習を見学した際に、毎年100人前後の部員を抱える天理高では3年生が練習をして、1年生が球拾いをしているのに対し、少数精鋭で集めるPL学園では学年に関係なく同じメニューの練習ができることが決め手でPL学園高校を選びました。
※あくまでも実力主義に叶えばの話であり、実際には下級生は他の高校同様に球拾いや雑用ばかりで清原和博さんも最初は雑用ばかりだった

清原和博さんの母親が奈良県出身で地元の強豪の天理で行ってほしいと言われ続け、清原和博さん自身もそのつもりだったそうです。

しかし、PL学園の在阪スカウトの方から「小学生時代から目をつけていた。ぜひPLの練習を見に来てほしい」と熱心に勧誘され、当時は心が揺らいだそうです。

PL学園高校入学当初、投手を希望していましたが、同期の桑田真澄さんの傑出した実力を知り、「(桑田には)絶対勝てない」と野手を選んだそうです。

新入部員が最初に集まった時、清原和博さんは名の通っていた桑田真澄さんを探し、その姿を発見すると「なんだ、こんな小さい奴か」と思ったそうですが、実際の投球を見て驚嘆し、PL学園で投手になることを断念したことをのちに語っています。

一方、桑田真澄さんは、清原和博さんをはじめ自分よりも一回りも二回りも体格のいい選手たちがたくさんいたことで自信をなくし、高校野球では通用しないかもしれないと思っていたそうです。

当時のバッティング練習では飛距離の出ない竹バットを使用していたそうですが、清原和博さんはネットを軽々越えて場外に飛ばしていたために、清原和博用の金網(清原ネット)が継ぎ足されたという逸話があるそうです。

全国から精鋭の集まるPL学園野球部のなかで、清原和博さんは、1年生から4番に座り、エース桑田真澄さんと共に甲子園に5季連続出場を果たしました。

 

甲子園の戦績は?KKコンビ事件とは?続きは次へ