八木節と起源は?

堀込源太

1914年(大正3年)、桐生の隣町の栃木県足利市八木宿の民謡家・堀込源太という人が現在の形の八木節を完成させました。群馬県内では爆発的にヒットし、盆踊り定番の音頭となり県内各地に広まったそうです。小学校でも八木節を練習するのが上州のスタンダードだそうです。

 

桐生八木節まつりの歴史

1591年(天正19年)の桐生新町造営から約60年後、1656年(明暦2年)に最も古い祭りの記録から桐生新町三丁目(現在の本町三丁目)の衆生院の境内にあった牛頭天王社の祭りを桐生祇園祭の起源と定めているそうです。

1870年(明治3年)、明治の神仏分離令によって三丁目の衆生院
は仏教の守護神である牛頭天王の神号は廃止され、天王社は八坂神社と改めたことにより、それまでの天王祭礼は「八坂祭典」と呼ばれるようになりました。

宮本町の美和神社境内に西宮神社が建立され、新たに参道(恵比寿通り)が整備されたことがきっかけから1908年(明治41年)に八坂神社は美和神社に合祀されます。
※合祀(ごうし)とは、(幾つかの神・霊を)合わせてまつること

昭和39年(1964年)からは、春の商工祭・文化祭、夏の七夕祭・花火大会、秋の桐生祭・体育祭など、多くの行事・祭礼と統合され、第1回「桐生まつり」として開催。1988年(昭和63年)、新たに全日本八木節競演大会が開催されから祭りの名称に「八木節」の文字が加わり、「桐生八木節まつり」となり2015年で第52回目を迎えました。

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桐生市の観光ポスターに篠原涼子!ノーギャラ?

篠原涼子

16歳まで桐生で過ごした群馬県桐生市出身・篠原涼子さんが、2013年8月1日に市の観光大使に就任され、『桐生市の魅力は、なんと言っても織物のまち。また、桐生の人は人情味があってやさしい人柄であることや都会には自然を求めている人が多いので、渡良瀬川など自然豊かな地域であることを多くの方に知ってもらいたい』と語られていました。

地元愛を背にノーギャラで自治体の観光ポスターのモデルを気持ち良く引き受けたことでポスターの制作費約300万円で5月の配布開始以降、問い合わせは1000件以上に上ったそうです。俳優・市村正親さんと結婚し、2児の母となった今も里帰りを続けているそうです。

篠山紀信さんと共に小学館「GORO」の看板カメラマンとなり、女優やアイドルの撮影を数多く手がけ多数のベストセラーを生んでいる日本トップクラスカメラマン・渡辺達生さんは自治体のポスターを手がけるのは初めて。

群馬県桐生市は9月18日、同市出身の女優篠原涼子さんを起用した観光イメージアップポスターの経済効果について、「少なくとも7500万円」とする試算を明らかにしています。

『カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW』に出演されていた篠原涼子さんに番組スタッフが流れる音楽が八木節オンリーであることを伝えると、篠原涼子さんは「それが何か!?ちょっとバカにしていませんか?」と逆に番組スタッフを軽く威圧していました。(笑)

今度は篠原涼子さんから番組スタッフに「夜寝るときにあの音楽ずっとリフレインされませんでした?」と聞き返すと「ロケ車の中の窓ガラスから入ってくる風の音が八木節の音に聞こえてしきちゃう・・・」と答えた時の篠原涼子さんは「(言っていいですか?)それが狙い!」と満面の笑みでした。

篠原涼子1

篠原涼子さんは「何回も同じ曲が流れて申し訳ないけど、それが狙い!それだけ群馬の桐生を忘れるなよ」とコメントされていました。