HAL研究所(株式会社ハル研究所)とは?

企業ロゴは、イヌが卵を暖めている様子が描かれており「犬たまご」と呼ばれています。考案者はコピーライターの糸井重里さんと谷村正仁代表取締役だそうです。

このロゴには「思いがけない組み合わせから新しいモノを生み出す」、「新しいアイデアや楽しいことを大切に暖める」という気持ちが込められているようです。

「HAL」は、「IBM」のアルファベットを1文字ずつ前にずらした名前として有名な「HAL 9000」と同じ発想で、「(当時最大のコンピュータ企業だった)IBMの一歩先を行く」という意味から名付けられたそうです。

 

天才プログラマー、経営の才能の頭角を現し始める?

経営とは全くの無縁であった岩田聡氏が経営者としての才能に目覚めるのは、1992年にHAL研究所の代表取締役に就任したことがきっかけでした。

経営不振などによる多額の負債を抱えたHAL研究所を、取引先の任天堂が救済し、その際に岩田聡氏が代表取締役に任命されました。

就任後、「万人に受け入れられるゲーム」をテーマに開発に着手、取締役とプログラマーの二足のわらじで業務を始め、『星のカービィシリーズ』、『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ』などの大ヒット作品を次々生み出し、経営再建を成し遂げました。

 

異例の任天堂社長就任で任天堂に革命を起こした?

1994年12月3日、ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE)から家庭用ゲーム機「PlayStation(プレイステーション)」が発売されました。

セガ・エンタープライゼス(現・株式会社セガ)のセガサターンや、任天堂のNINTENDO64と次世代機戦争と呼ばれた市場競争でプレイステーションの台頭などで任天堂は経営不振に陥っていました。

2000年、当時の任天堂(3代目)社長・山内溥氏に指名を受け任天堂に入社、そしてその2年後には代表取締役社長に任命されました。岩田聡氏は当時まだ42歳でした。

岩田聡氏がまだ30歳過ぎの頃、任天堂(3代目)社長・山内溥氏が「唯一、ニコニコしながら会う人」と称されていたそうです。
今まで任天堂社長は初代社長・山内房治郎(1889年 – 1929年)、2代目社長・山内積良(1929年 – 1949年)、3代目社長・山内溥(1949年 – 2002年)と代々山内家の同族経営でした。

4代目社長で初めて代々山内家の同族経営でなくなり、重圧と戦っていたのではないでしょうか。

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「ゲーム人口拡大」戦略のきっかけは3代目社長・山内溥氏?

2002年に3代目社長・山内溥氏から経営を継いだ新生任天堂を象徴するキーワードと言えば「ゲーム人口拡大」戦略です。「ビデオゲーム産業が健全な状態ではない」と気付き、圧倒的に早く言い出したのは現場を離れた3代目社長・山内溥氏だったそうです。

DSやWiiという独創的な商品が生まれたのは、3代目社長・山内溥氏の教えを忠実に守った結果だと岩田聡氏は語っています。3代目社長・山内溥氏は生活必需品と娯楽品の違いは区別しろ、『よそと違うことをやれ』と、『よそと違うから価値があるんや』ということを言い続けていたそうです。

DSには社長・山内溥氏が深く関わっていたそうで、「画面を2枚にしろ、どうしても2枚にしろ」と言われたそうです。今までと明らかに違う独創的な商品を作らないとダメだという3代目社長・山内溥氏の教えをヒントにDSやWiiを商品化しました。

岩田聡氏の経営になって変わったことについて、ソフト部門のトップである専務の宮本茂氏、ハード部門のトップである竹田玄洋氏から贅沢なインタビューをしていた記事があったので紹介したいと思います。

「任天堂は何も変わっていないのか、何かが変わったから成功したのか」と聞いたことがある。

岩田さんは、「先に2人に聞いてから私が(笑)」と譲り、竹田氏がこう答えた。「芯は変わっていないと思いますよ。ただ、寛大なものの言い方をすると、岩田になって少しサイエンスが加わったんだと僕は見ています」。これに宮本氏が続けた。

「山内は天性の勘とか、経験則とかで予言をする人なんです。けれども、岩田は逆に経験則から否定されている部分でも、科学的に見たらまだ使える要素があるんじゃないかと、1つずつ仮説を立てて裏付けを取ろうとする。裏付けが取れたら、今度は戦略に折り込んでいくみたいなところは、ものすごく科学的なわけですね。勘から確信として動けるようになって、他の人たちも説得しやすくなるんです」
日経ビジネスONLINEから引用

つまり、3代目社長・山内溥氏はものすごい直感タイプで、4代目社長・岩田聡氏は、起きていることの理由や仮説の裏付けを取るために、言いたいことの委曲を尽くすためにデータを多用するタイプということです。

その結果、経営方針への社員の理解が深まり、社内の風通しも良くなったそうです。岩田聡氏自身の考えを語られている記事があるので紹介したいと思います。

「私は任天堂の価値観をすごく引き継いでいるつもりで、たぶんほとんど何も変わってないと思います。山内さんのやり方を否定する気はさらさらなくて、そこは尊重している。でも、昔とは違ってインターネットがあるよなとか、変化した環境にこれまでの価値観をどう生かしていくか、とかは、考えます」

「それから、私は外様です。よそから来た若造の言うことを、実績50年の社長の前と同じように、みんな理由もなく聞くわけがないんですよ。じゃあ、徹底して丁寧に行こうと思いましてね。たぶん、ものすごくしつこく何回も同じことを言っています。任天堂はどこへ行くのかとか、何が目的で何が手段なのかを、また社長同じこと言ってるよって言われるぐらい、呆れられるほどしつこく言い続けています」

「おかげで、会社の人たちの考え方の軸や、今までうまく協調できなかった違う部門のエネルギーがうまく揃ってきた。結果として、とてもいい回転になったと私は思っている。でも、天の時に恵まれなければきっと私は同じことはできないし、それから、任天堂がもともと持っていた社風や哲学がなければ同じことはできない」
日経ビジネスONLINEから引用

 

「人々の笑顔、健全で楽しい娯楽の世界を守る」、「ゲームが家族の敵にならないこと」の考えを突き通していた?続きは次へ