2016年7月12日、日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』では「踊る踊る踊る!さんま御殿!! 最強2世が奇跡の集結 美女アスリート浴衣祭」と題して美女アスリートvs醜女芸人に日本女子水泳界のアイドル的存在で当時、ハイレグ型水着で日本新記録をだした伊藤華英さんが出演です。

ローマで行われた2009年世界選手権で胸椎ヘルニアと膝の脱臼したことで腰や膝に負担のない自由形への転向を決断し、水泳の先輩からピラティスを勧められてからピラティスの指導者として活動している伊藤華英さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?伊藤華英のプロフィール

伊藤華英1

出典:http://www.someday.bz/

本名:伊藤 華英(いとう はなえ)
ニックネーム:ハナ
生年月日:1985年1月18日
出身地:埼玉県大宮市(現・さいたま市)
身長:173cm
体重:61kg(2012年10月時点)
出身中学校:東京成徳大学中学校
出身高校:東京成徳大学高等学校
最終学歴:日本大学 経済学部 経済学科、早稲田大学学術院 スポーツ科学研究科、順天堂大学スポーツ健康科学研究科精神保健学専攻
資格:日本ピラティス指導者協会公認 マットピラティスコーチ
泳法:背泳ぎ → 自由形
所属:セントラルスポーツ研究所
事務所:サムデイ
Twitter(ツイッター):@hanaesty

戦績

国内大会

2003年 日本選手権水泳競技大会 200m背泳ぎ 優勝
2005年 日本選手権水泳競技大会 100m背泳ぎ 優勝
2006年 日本選手権水泳競技大会 100m背泳ぎ 優勝、200m背泳ぎ 優勝(日本新)
2008年 日本選手権水泳競技大会 100m背泳ぎ 優勝(タイム:59秒83)(日本新)

国際大会

2005年 世界水泳選手権モントリオール大会 100m背泳ぎ 6位、200m背泳ぎ 4位
2006年 パンパシフィック水泳選手権 100m背泳ぎ 優勝(タイム:1分0秒36)
2008年 北京オリンピック 100m背泳ぎ 8位、200m背泳ぎ 準決勝敗退
2009年 世界水泳選手権ローマ大会 200m自由形 棄権
2011年 世界選手権 400mフリーリレー 7位
2012年 ロンドンオリンピック 400mフリーリレー 7位、800mフリーリレー 8位

小さい頃から実家近くにある岩槻市(現・さいたま市岩槻区)にあるセントラルスポーツのスイミングスクールに通っていました。

2000年、東京成徳大学高等学校に入学してから高校総体、国体(国民体育大会)に東京都代表として出場し、寺川綾さんと並んで日本女子水泳界のアイドル的存在になりました。また、日本選手権に15歳で初めて出場を果たし、2001年世界選手権から女子背泳ぎ選手として注目されるようになりました。
※寺川綾さんは、後にロンドンオリンピック女子100m背泳ぎ 銅メダリストになりました

高校時代の部活動ではアシックスの水着でレースに臨んでしましたが、日本大学に進学後、寺川綾さんとともにミズノがライセンシーとなり、イギリスに本拠を置く国際的な水着メーカーSPEEDO(スピード)のイメージガールを務めました。

17歳の時に伊藤華英さんが理想的な体型ということで男性向け健康雑誌ターザン(Tarzan)に掲載されました。

出典:http://blogs.yahoo.co.jp/

2003年、NHK Eテレ『テレビスポーツ教室』に模擬実技として出演をしました。

 

長身で日本人離れした手足の長さとルックスの良さからメディアからも注目を集めました。2003年、日本大学に進学して翌年の2004年4月のアテネオリンピック代表選考レースで3位という結果によりオリンピック出場を逃しました。
※大学大会以外では「セントラルスポーツ関係者」として出場していました

2007年に日本大学を卒業後、セントラルスポーツ研究所所属の正社員となり、研究所の拠点が千葉県に移った為、選手登録先も東京都から千葉県に変更しました。選手育成のためのプログラム開発などに携わりながら北京オリンピックを目指し、2008年4月17日の日本選手権女子100m背泳ぎで日本記録を樹立し、初めてオリンピック代表選手に選ばれました。

2012年8月、100m背泳ぎで1分00秒18の8位、200m背泳ぎで2分09秒86の12位という結果に終わりました。

メダル獲得を目標にロンドンオリンピックを目指す最中に膝を痛めた影響と寺川綾さんが再び盛り返してきたことなどもあり、背泳ぎでの代表入りを事実上諦め、2009年に活動の軸足を自由形に転向しました。

2010年日本選手権では自由形一本に絞り、同種目でパンパシフィック選手権代表の座を獲得しましたが、広州アジア大会、2011年日本選手権でも満足のいく結果を残すことはできませんでした。

2012年のロンドンオリンピックでは、寺川綾さんと念願のアベック出場を果たし、大きな実績を残すことはできませんでした。

岐阜県を中心に開催された東日本大震災復興支援 第67回国民体育大会(ぎふ清流国体)の水泳最終日、成年女子400mメドレーリレーで最終泳者を務めたのを最後に「五輪で一区切りと考えていた。悔いはない」と現役を引退しました。

全国各地で行われるJOCイベントに参加して参加者と直接ふれないながらオリンピズムの大切さを伝えたり、環境保全を啓発・実践する2013年度日本オリンピック委員会「オリンピックふれあいアンバサダー」のメンバーに選ばれました。