2015年12月14日、日本テレビ系列『人生が変わる1分間の深イイ話』では「笑いあり涙あり母親2時間SP」と題して乳がん告白したおニャン子クラブの元メンバー(会員番号は40番)の生稲晃子さんが出演されました。

生稲晃子

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/

がんが2度再発し右乳房全摘出手術から右胸再建手術をされたばかりで、この約5年間の辛い闘病生活は家族がしてきてくれたあることで乗り切ることができたのは娘の遥香ちゃんの存在だったと明かした生稲晃子さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?生稲晃子もプロフィール

生稲晃子も

出典:「AKKO REVOLUTION」

本名:佐山 晃子(さやま あきこ)
旧姓:生稲(いくいな)
生年月日:1968年4月28日
出身地:東京都小金井市
血液型:B型※1
身長:― cm
体重:― kg
最終学歴:恵泉女学園短期大学英文学科
趣味:スポーツ観戦、節約、旅行、和装、ゴルフ
デビュー:1986年
所属グループ:おニャン子クラブの元メンバー(会員番号は40番)
著名な家族:佐山 智洋(夫)
他の活動:歌手、女優
事務所:プロダクション尾木(2009年よりに復帰)
ブログ:「AKKO REVOLUTION」

※1 1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明

【主な出演作】

テレビドラマ

  • 『キッズ・ウォー』シリーズ
  • 『暴れん坊将軍VII・VIII』

 

私立吉祥女子高等学校は芸能活動禁止でしたが、生稲晃子さんの成績が非常に優秀であったため、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可されていたそうです。

1985年、『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人:100万円、推薦者:50万円)に惹かれて兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが芸能界に入るきっかけになりました。

途中落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり、以後複数のオーディションを受けました。
※以前にもアイドル雑誌『ザ・シュガー』の「今月のセーラー服美人」というコーナーで紹介記事が計3ページにわたって掲載

1986年3月、「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガール「ミス南ちゃんコンテスト」に出場したところ、原作者のあだち充が生稲晃子さんを推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になる」と優勝内定を知らされたそうですが、発表当日になってこの話は流れたそうです。
※優勝したのは、浅倉 亜季さん(本名は大倉 亜季(おおくら あき)で芸名の名付け親は原作者のあだち充です)

この時、居合わせたレコード会社の関係者から「おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」と声を掛けらましたが、落選したショックから即答は避けて一旦保留とする返答のみをしてずっと泣きながら帰宅したそうです。

生稲晃子さんの兄がおニャン子クラブのファンだったようで、兄はオーディションの話に乗り気だったそうですが、生稲晃子さんは、部活動をしていたので、夕方からの生放送番組の出演となれば退部になるために乗り気ではなかったそうです。

生稲晃子さんは、フジテレビ系放映『夕やけニャンニャン』の放送を殆ど見たことが無く、雑誌や音楽番組などで見聞きしていた程度の認識しかなかったそうです。

憧れていたアイドル歌手やおニャン子クラブのように大勢のアイドルが所属していたモモコクラブのメンバーと比較し、「おニャン子はブスが多いから、入るのは嫌だ」と兄に漏らしていたそうです。
※2011年7月9日に放送されたテレビ東京『ちょっと出かけよッ!~青春時代の仲間と行く 夏旅行~』で明かしていました
※モモコクラブには酒井法子さん、畠田理恵さんらが所属していました

当時、生稲晃子さんは田原俊彦さんがファンだったようで「トシちゃんのレコードをあげるから」と「(夕やけニャンニャンに出演時は)時給5千円」と言われたことで『夕やけニャンニャン』内オーディションコーナーに試しに受ける事になりました。

1986年6月、『夕やけニャンニャン』内オーディションコーナーを経て、1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビューを果たしました。

1986年10月、渡辺満里奈さんのデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香さんと共に「with おニ、11月1日、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、フロント4人の中に入りました。

高校の成績は優秀だったのですが、芸能活動をしているという理由で大学入試の際に学校からの推薦が得られませんでした。1987年に入ってからは芸能活動を控え、『夕やけニャンニャン』にも約1ヶ月ほど出演せず受験勉強に専念した結果、1987年4月に恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学しました。

受験を終えて芸能活動を再開してすぐに、新ユニットうしろ髪ひかれ隊のメンバーに工藤静香さん、斉藤満喜子さんと共に抜擢され、成り行きに任せざるを得なかったそうです。

1987年5月7日発売された「時の河を越えて」がうしろ髪ひかれ隊のデビューシングルで、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌とエンディング曲に起用され1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得しました。

1987年9月20日のおニャン子クラブ解散。

解散特番のラジオの終盤で『夕やけニャンニャン』のスタッフに「もう「深呼吸して」は3人じゃ歌えないんだな・・・」としみじみ言われたことを涙ながらに語っていたそうですが、聞き役の渡辺満里奈さんに「何泣いてんのよ!」と叱責され我に返ったそうです。

おニャン子クラブ解散後もうしろ髪ひかれ隊の活動は続行されました。
※うしろ髪ひかれ隊のキャッチコピーは、「ふんにゃり静香と、ほんわか晃子と、しっかり満喜子で、うしろ髪ひかれ隊になったとさ」

フジテレビ系列『夜のヒットスタジオDELUXE』に出演した時、ソロシングルをリリースすることが発表され1988年4月をもってうしろ髪ひかれ隊の活動が休止。

うしろ髪ひかれ隊としては、1988年5月2日のファーストコンサート追加公演(東京厚生年金会館)を最後に活動休止。その後再開することもなく、結果的に自然消滅。

5月21日に「麦わらでダンス」(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビューを果たし、7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでョ!』で連続ドラマに初出演しました。

2001年4月、永らく所属していたプロダクション尾木より独立。

(2001年4月時点)

 

生稲晃子さんが、がん2度再発し右乳房全摘出手術から右胸再建手術も公表した理由は?生稲晃子さんを支えた夫、娘は?続きは次へ