2017年3月2日、テレビ東京系列『日経スペシャル カンブリア宮殿 ~村上龍の経済トークライブ~』では「地方から奇跡!ゼロからビジネス革命を起こした女性社長SP」をテーマに塩麹ブームの火付け役となった糀屋本店 浅利妙峰社長が出演します。

 

世界中の人たちをお腹の中から元気にしたいという願いから、切望し続けていた海外(イタリア、アメリカ、ドイツ、ベルギー、メキシコ)での普及活動を展開しながら麹文化を日本中に広めた老舗「糀屋本店」の新たな挑戦について当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?浅利妙峰のプロフィールと経歴

出典:

名前:浅利 妙峰(あさり みょうほう)
生年月日:1952年6月
出身地:大分県佐伯市
血液型:―型
出身高校:大分県立佐伯鶴城高等学校
最終学歴:東京富士大学短期大学部経営学部

受賞歴

2012年3月 大分合同新聞社賞受賞(糀屋本店として)
2012年11月 平成24年度大分合同新聞文化賞受賞
2013年3月 平成24年度大分県女性のチャレンジ賞受賞
2013年6月 平成25年度内閣府男女共同参画 女性のチャレンジ賞受賞

 

浅利妙峰「糀ニューワールド」インタビュー@尾道自由大学

 

大分県佐伯で1689年(元禄二年)から約320年以上にわたりこうじの専門店として麹を作り続けている「糀屋本店」の長女として生まれ、11歳離れた妹が生まれるまでは一人っ子でお店を継ぐように言われて育てられました。

当時、家庭で造るものだった味噌が店で買うものに変わり始めていたこともあり、麹屋は全国的に減ってきていましたが大分県佐伯は、まだ糀を買ってきて味噌や甘酒を造る人が多かったそうです。

小学高学年の時に少女と女性の可能性を最大限に伸ばして自ら考え行動をして人種・国籍・宗教の差別なく、健全かつ幸福で社会に貢献することを目的とする教育団体「ガールスカウト」のガールスカウト大分22団に入団しました。

その後もガールスカウトを続けて1973年10月にガールスカウト指導者資格取得してから翌年の1974年6月から9月の間、ICCP(International Camp Counselor Program)のキャンプカウンセラーとしてアメリカ派遣されました。

東京富士大学短期大学部経営学部を卒業後はお店を手伝いをしながら25歳の時に結婚して、父親の8代目から養子に入った夫と共に糀屋本店の経営を任された頃から大分県佐伯で糀を使う人が少なくなっており経営が厳しくなっていました。

製麺業を営んでいた夫の両親から「まきを燃やしてコメを蒸す方法からボイラーを導入して製造工程を効率化」の助言を受けたり、仕出屋向けに折り箱などの包装資材や氷やドライアイスなど販売もしたそうですが包装資材は売り上げが伸びても自転車操業で経営縮小をすることになりました。

糀屋本店は両親と店長の3人で運営ができる程度に縮小して、浅利妙峰さんと夫は外で稼ぐことになり、夫は東京の人材教育会社で働きました。浅利妙峰さんは結婚後6年で3男2女の5人の子宝に恵まれていましたが、塾に行かせる余裕がなかったことから1989年から「公文式」の学習塾を始めました。

糀造りの中心だった父親であり八代目・浅利幸一さんが2005年頃から体調を崩して翌年の1月に脳梗塞で倒れて糀屋本店を畳むかどうか決断を迫られた時に大学生だった二男・良得さんが「継ぎたい」と手を挙げました。

二男・良得さんが「継ぎたい」と手を挙げた理由は、北アメリカを旅行してアメリカの建国以来の歴史よりも糀屋本店の歴史のほうが長いことに気づいて伝統を絶やしたくないと思ったからだそうです。そして、浅利妙峰さんは親として傾いたままの店を継がせるわけにはいかないと決心をしました。

2006年、大分県産業科学技術センターが地域の中小企業の商品開発を支援する事業に応募して二男・良得さんと浅利妙峰さんは参加して老舗の強みや弱みなどを議論しながら店の経営を立て直そうと模索を始めていた最中に父親が回復するのと入れ替わるように2007年1月に母親が亡くなり、「公文式」の学習塾をやめて糀屋本店の経営に専念しました。

経営を立て直そうと模索中に糀を味噌と甘酒の材料としてしか売っていなかった自分達も怠慢だったと思ったそうです。それからは、多くの人に使ってもらえる方法を探すために勉強しようと本を読みあさっていた時に江戸時代の文献「本朝食鑑」にたどり着きました。

江戸時代の文献「本朝食鑑」には塩麹漬という漬物が紹介されていたそうです。昔は糀が漬け床として利用されていたが分かり、調味料として使ったらどうかとヒントを得て現代の調味料として商品化につながりました。

塩糀のほかに砂糖の代わりに用いる自然な甘みの「甘糀」、隠し味として重宝がられる風味豊かな「だし糀」など独自の糀を使った製品の研究開発や糀に納豆を合わせた「こうじ納豆」が場企業を支援する大分県の担当者から声がかかり、2008年2月に東京の伊勢丹新宿店で1週間だけ販売したところ人気を集めました。

しかし、塩糀はなかなか認知度は上がらず商標登録するかどうか悩んでいたところに大分県産業科学技術センターで「広く知らしめて周知の事実にすることで商標が守られる方法もある」と聞いて考え方を改めました。

人目を引くために浅利妙峰さんはこうじ屋ウーマンを名乗り、糀屋本店のホームページ以外に健康志向の料理愛好家のブログに書き込みをしたり、2009年5月に「温故知新の糀レシピ」を自費出版しました。そして2011年以降からはテレビ番組でも紹介されるようになり、全国注文が殺到するほどに塩糀も認知されるようになりました。

 

有限会社 糀屋本店の会社概要

会社名:有限会社 糀屋本店
住所:大分県佐伯市船頭町14-29
電話番号:0972-22-0761
フリーダイヤル:0120-166-355
注文受付:月~金 9:00~17:00 / 土 10:00~13:00(日・祝除く)
FAX(フリーダイヤル):0120-6767-36
営業時間:9:00~17:00
営業日:月曜日~土曜日(日・祝日は不定休のためお問い合わせ要)
運営サイト:糀屋本店(http://www.saikikoujiya.com)
運営サイト(英語サイト):kojiya(http://kojiya.jp)
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/user/saikikoujiya
Facebook:https://www.facebook.com/KojiyaHonten/

使用原材料

製麹用米:大分県産
製麹用麦:九州産
味噌用大豆:大分県産

創業者

初代・吉左衛門 信義(きちざえもん のぶよし)
二代目・又右衛門 信家(またうえもん のぶいえ)
三代目・吉左衛門 信政(きちざえもん のぶまさ)
四代目・孝兵衛橘 政義(こうべえたちばな まさよし)
五代目・猪作橘 政信(いさくたちばな まさのぶ)
六代目・浅利 喜助(あさり きすけ)
七代目・浅利 ナヲ(あさり なを)
八代目・浅利 幸一(あさり こういち)

浅利家の先祖は、大分佐伯藩の船頭衆でしたが、鎖国令を受けて陸に上がるしかなかったことから糀を製造するようになったそうです。
※店の奥の糀室は解体された藩船の木材によって作られたと言い伝えられており、現役で利用しているそうです