2017年4月17日、日本テレビ系列『世界まる見え!テレビ特捜部』では「春のミステリークイズ2時間スペシャル」をテーマに1937年にカリフォルニから世界一周飛行の最中、愛機エレクトラとともに消息を絶ったアメリア・イアハートさんが特集されます。

 

1932年に女性初となる大西洋単独横断飛行を成し遂げて国民的ヒロインとなったアメリカ女性飛行士のアメリア・イアハートと謎の失踪事件や驚くべき陰謀について当たり障りなく紹介してみたいと思います。

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Wikiより詳しい?アメリア・メアリー・イアハートのプロフィールと経歴・学歴

出典:

名前:アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart)
愛称:ミス・リンディ
生年月日:1897年7月24日
失踪日:1937年7月2日
(没)年月日:1939年1月5日死亡と声明
出身地:アメリカ・カンザス州アッチソン
血液型:―型
身長:約167cm
体重:―kg
出身高校:
最終学歴:コロンビア大学 中退

ドイツ系の裕福な家庭に生まれたアメリア・メアリー・イアハートは、高校卒業後は医学を学ぶためコロンビア大学に入学したが、1年で中退して第一次世界大戦中はカナダのアメリカ陸軍病院で看護助手として働いたそうです。

アメリア・イアハートさんは、友人と偶然に訪れたカナダ・トロントで開催された博覧会で第一次世界大戦時の展示飛行に魅せられて飛行士になろうと決意しました。

1921年、商業飛行機を運航した最初の女性でもあるネタ・スヌークにカリフォルニア州ロサンゼルスで飛行訓練を受けた後、2人掛けのシングルエンジンの複葉機キナー・アースター(Kinner Airster)を購入しました。
※家族内の問題で1924年に飛行機を売却後は、東部に戻ってソーシャルワーカーとして働いた

1928年4月のある日の午後、仕事中に電話を受けた時に「大西洋を飛びたいと思いますか」と尋ねられてから政治評論家で出版者であったジョージ・パットナム(のちの夫)と会いました。

パイロットのウィルマー・スタールズと副操縦士兼エンジニアのルイス・ゴードンのチームに共同パイロットとして加わるように依頼されました。
※実際には女性乗客として旅客機の操縦はしていない

1928年6月17日、旅客機フォッカー F.VII(Fokker F.VII)に乗ってカナダの東海岸に位置するニューファンドランド島のトレパシー湾を出発してから約21時間後にウェールズ(イギリスを構成する4つの国の内の1つ)のバリー・ポートに到着。

1927年5月20日に大西洋単独無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグの快挙に続き、アメリア・イアハートさんは「初めて大西洋を横断した女性」という称号を手に入れました。
※ニューヨークでパレードや当時のカルビン・クーリッジ大統領によって開催されたホワイトハウスのレセプションで歓迎を受けた

それ以来、アメリア・イアハートさんは自分一人で挑戦するために飛行機を操縦することを生活の一部になっていきました。

コメディアンで当時のハリウッドでは最高級のギャラだった映画スターのウィル・ロジャースが開催した「パウダー・パフ・ダービー」で3位の成績や回転翼機のオートジャイロで最高到達高度記録も樹立。

アメリア・イアハートさんは、大西洋横断の準備の間にジョージ・パットナムと恋に落ち、1931年2月7日に結婚。

1932年5月20日、チャールズ・リンドバーグのパリへの単独飛行と同じルートで挑戦したが、強い北風や機会トラブルでアイルランドのロンドンデリー近くの牧場に着陸したが、女性による初めての大西洋単独横断飛行の記録樹立。

大西洋単独横断飛行に成功したアメリア・イアハートさんは下記の

  • 名誉勲章に次ぐ2番目に高位の勲章の「空軍殊勲十字章」
  • フランス政府から「レジオン・ド・ヌール勲章」
  • ハーバート・フーヴァー大統領(第31代大統領)から「米国地理学協会のゴールドメダル」

を受け取りました。

1932年8月24日、ニュージャージー州ニューアークからロスアンゼルスまで19時間をかけて女性初の米大陸単独横断無着陸飛行にも成功。

1935年1月11日、ハワイからカリフォルニア州までの単独飛行にも成功と次々と記録を樹立していきました。

 

謎の失踪事件(海に墜落説)

 

謎の失踪事件(ガードナー島 不時着説)

 

日本軍関与説

 

驚くべき陰謀(日本にスパイ説)

 

アイリーン/ボーラム説