絶対に言えない!さんまが愛した3人の女性

明石家さんま1

岡村さんが言うには、「さんまさんは大概教えてくれはんねんけど、3人だけ絶対・・・日本がひっくり返る、北海道と沖縄が入れ替わるぐらいで、絶対言われへんねん!吉本の裏事情は教えてくれはんねんけど、絶対この3人は教えてくれはれへん!墓場までもっていかはるんですって!」という3人だそうです。さんまさんに「普段の食事会の時の話をすな!」と頭を叩かれていました(笑)(ここからようやく、週刊誌の見出しに沿って話が進行されていきます。)

※さんまさんが愛した3人の女性の話になるまでに小話があります。週刊誌の見出し似付いては緑色で表記しています。

 

1981年(26歳) ブラックデビル 「オレたちひょうきん族」がレギュラー放送開始

1回目放送の視聴率は13.4%だったそうですが、元々は視聴率1ケタでした。当時のフジテレビは調子が悪いときだったので視聴率の数字はあんまり意識していなかったし、視聴率の数字を知らなかったと、さんまさんが明かしていました。

1981年5月16日から8月29日まで『決定!土曜特集』枠で放送されたパイロット版で放送回数は8回だったようです。さんまさん曰く、視聴率1ケタだったけども、視聴率20%のような手応えを感じていたそうで、1ケタの番組でも甘く見たらアカン!と言っていました。

当時のテレビ番組の構成は、子どもがドリフターズの「8時だヨ!全員集合」を観て、大人は野球中継を観ていた時代だったと振り返っていました。初回視聴率(1981年10月10日)13.4%に対して「8時だヨ!全員集合」は29.7%でした。本当に「8時だヨ!全員集合」はモンスター番組だったんですね。当初は、「オレたちひょうきん族」は週刊誌からあの笑いはなんだと叩かれていました。

 

1982年(27歳)  放送開始半年で視聴率20%超え、10月2日の放送で「8時だヨ!全員集合」を初めて抜く!

抜いた時はやった!という事よりもディレクターが「しまった!」と言葉を発したことをさんまさんは覚えているようです。「8時だヨ!全員集合」の下をもう暫くはついていきたかったと後悔していたそうです。2番手という位置が一番良くて、1984年から常に1位になってしまい胸を借りていた時が良かったと何故か岡村さんがメルマガ「明石家さんまヒストリー」とバッチリ話が合っていると力説していました。(笑)本当にさんまさんが好きなんですね。

スポンサードリンク

タケちゃんマンたすけて~明石家さんまが愛人(銀座ホステス・26才)との離別で窮地に1000万円の慰謝料をめぐって、親愛の情も薄れて

その日だけ車のトラブルか何かで急がなくてはならない状況だったらしく電車に乗ったそうです。電車の中吊り広告に週刊誌の見出しが書かれていて、顔を隠しながら乗っていたそうですが、サラリーマンに「泥沼なん?なぁなぁ泥沼なん?」と質問されたそうです。

「えっ?」とさんまさんが反応すると、中吊り広告を指さして「これ、これ。」と言われたので、広告を見て「泥沼やねん!」と返したところ、サラリーマンは爆笑だったそうです。(この内容は漫談で話したことがあるエピソードだそうです。)

何度かこの方と記事になってしまい、さんまさんは「サイテー男」というレッテルが貼られることになります。当時では、芸能界では致命傷と言われるほどの事態だったそうです。

 

初スキャンダルでタレント生命の危機!?

若いスタッフさんに「さんまさんは僕たちで守りますんで!」と言われいろいろとフォローをしてくれたそうです。また、ぼんち揚げ(ぼんち株式会社)の社員からイメージダウンになるから降板させようと言われたそうですが、社長自ら「さんまくんしかダメだ!」と継続してくれたそうで、今でも感謝でぼんち揚げを食べているそうです。

スキャンダルをすれば当時では、本当にタレント生命が絶たれるという時代でローカル局・関西では降板させるという状況の最中、フジテレビだけ、この記事で「盛り上げてくれてありがとうございます」と表彰してくれたので、フジテレビの番組を頑張った(助けられた)と明かしていました。

 

なかなか、絶対に言えない!さんまさんが愛した3人の女性が出てきませんね・・・続きは次へ